●「1曲20分」が平気でオン・エアされた時代

 ビリー・ハーパーというテナー・サックス奏者がいます。テキサス出身で、60年代後半ニューヨークにやってきました。リー・モーガンの最後のバンドでサックスを吹き、ギル・エヴァンスのオーケストラでも演奏し、その後マックス・ローチのバンドに所属しました。70年代後半からは自身のグループを中心に演奏しています。

 私がいつハーパーのレコードを最初に聴いたのかは覚えていません。マックス・ローチの1977年度来日公演を収めた『キャルバリー』だったような気もしますが定かではありません。しかし1979年の夏にNHK-FMの「軽音楽をあなたに」という番組で当時の最新作『ノウリッジ・オブ・セルフ』のタイトル曲がかかったことは覚えています。

 なぜ覚えているか? それは「演奏が長い」からです。20分もかかる曲が、当時のラジオ番組でかかることは本当に稀でした。逆にいえば、「そんな長い曲でもかかってしまう」ほど当時のハーパーは人気があったのです。

●日本コロムビアから発売された「硬派ジャズ」

 「軽音楽をあなたに」は確か平日の午後4時から6時までの2時間番組でした。79年当時は火曜日がジャズの日だったように思います。今ではすっかり死語となった“軽音楽”ですが、かつての日本ではクラシック以外の洋楽をすべて軽音楽と呼んでいた時期がありました。その名残が、70年代も終わろうというときにも、まだ存在していたわけですね。

『ノウリッジ・オブ・セルフ』はA面がタイトル曲、B面が「インサイト」という曲で占められていました。たった2曲入りです。発売元は日本コロムビアでした。同社のスタッフがわざわざニューヨークに行き(1ドル200円の頃です)、ハーパーたちに思いっきり演奏させたのです。日本最古の歴史と無数のヒット曲を持つレコード・カンパニーが、こんな硬派なジャズを、何食わぬ顔でリリースしていた時代が確かにあったわけです。

●バスドラが聴こえない!

 私がハーパーを初めて見たのは1986年のことでした。他のメンバーはエディ・ヘンダーソン(トランペット)、ソニー・フォーチュン(アルト・サックス)、スタンリー・カウエル(ピアノ)、レジー・ワークマン(ベース)、ビリー・ハート(ドラムス)。演目は、忘れもしない「アウェイクニング」、「カル・マッセイ」、「デスティニーズ・イズ・ユアーズ」です。86年当時、ハーパーの新作は途絶えていました。それだけに彼のライヴが目の前で聴けるのは願ってもない喜びでした。

「カル・マッセイ」の途中、ドラムスの音が突然やみました。ビリー・ハートがステージ袖にいるスタッフに何かジェスチャーで説明しています。どうやらバスドラのペダルが壊れてしまったようです。ワークマンはすぐに状況を察しました。それまでステディなベース・ラインを刻んでいた彼が一転、ものすごいシンコペーションを利かせながらベースの弦をひっぱたいたり、はじいたりしはじめました。当然、そのプレイはソリストのノリにも影響を与えます。ドラムのない状態でのプレイは10分ほど続いたでしょうか。バスドラのペダルを直したハートが絶妙なタイミングで再び演奏に加わり、「カル・マッセイ」はエンディングにもつれこんだのでした。

 ほとんど棒立ちになって、こぶしの聴いた音をめまぐるしく放射していたハーパー。今もそのプレイに変わりはありません。ひとつの道を貫く美しさが、彼の演奏には込められています。