秀吉の黄金が姿を現す日は来るのだろうか (※写真はイメージ)
秀吉の黄金が姿を現す日は来るのだろうか (※写真はイメージ)
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「日本3大埋蔵金」のひとつで「埋蔵額ナンバーワン」と言われるのが、兵庫県猪名川町の多田銀銅山で語り継がれる秀吉埋蔵金だ。税務署員が秘文書を見たという新聞投稿を発端に、日本中が騒然としたこの埋蔵金伝説。朝日新聞尼崎支局の宮武努記者が、その真偽を追った。今回はその第2弾。

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 ただ、記事や書籍を読んでも、秘文書が学術的な鑑定を受けたのかどうかわからない。「学者に協力を求めて調査を進めた」「博物館で太鼓判を押された」といった断片的な記述はあるものの、具体的な鑑定者名や鑑定結果が明記されていないのだ。

 そんな中やや目を引くのが、1954年の産経新聞に掲載された「時価23兆円の宝探し」と題する記事に登場する京都大学の鉱山学者、三雲英之助教授の談話だ。「現在どの程度の財宝が残っているかはわからないが豊臣秀吉が多田銀山に膨大な金塊や財宝を埋蔵したことは信ずるにたる歴史上のことである」と言い切っている。三雲氏は当時、探索者たちから協力を求められ、秘文書に目を通していた人物だ。秘文書をどう調べたのかはわからないが、埋蔵を史実と断定している点は注目に値する。

 ところが、さらに調べてみると、三雲氏は後にこの談話を全否定していることがわかった。猪名川町立図書館には、彼が70年に書いた「多田銀山盛衰記」と題する冊子が所蔵されている。彼は冊子の中でこの産経記事に言及し、「筆者談として全く話さなかったことが新聞に載っている」と暴露していた。埋蔵金の記事を書いた記者が三雲氏の談話を不正確に報じたのか、あるいは三雲氏が後になって言を翻したのか。今となっては確認するすべもないが、とにかく、秘文書が学者のお墨付きを得たとは言えないようだ。

 三雲氏以外に秘文書をその目で見た学識者はいないのか。あちこち探してみた結果、「それらしい物を見たことがある」という人物に出会った。元大阪城天守閣館長の渡辺武氏(79)=兵庫県西宮市=だ。

 渡辺氏によると、同館の学芸員だった60年代、見知らぬ2人組の男性が「埋蔵金の古文書を入手したので解読してほしい」と巻物1巻を持ち込んできた。

「紙も古く、明治以降の人間が書いたとは思えない崩し字。何百年前かは別として、江戸時代のものだと思いました」

 ところが、記述内容は意外なものだった。

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