チェット・ベイカー・シングス
この記事の写真をすべて見る

 このコラムでは、主にアナログ時代の音源をリマスターしたCDを取り上げているわけだが、昨年(2007年)、大阪のオーディオメーカー、(株)インフラノイズが、なんと家庭でリマスターしてしまう機械、その名も「サウンドリマスターRMS-1000」なる製品を発表した。

 これがどういうものかというと、CDプレーヤーとアンプの間にこの「サウンドリマスターRMS-1000」を接続すると、「リマスター」された高音質になって音が出てくるというもの。それだけではない、この製品のユニークなのは、ジャズ向きの「セッション」と、クラシック向きの「アンサンブル」、ふたつのポジション切替スイッチがついていることだ。

 「ジャズとクラシックは、相反する価値観を持つ音楽である」というインフラノイズ社のポリシーゆえ、ジャズ再生用ポジション「セッション」と、クラシック再生用ポジション「アンサンブル」を設けた。リスナーが選択できるのはこのふたつにひとつで、中間はない。

 その「サウンドリマスターRMS-1000」の試聴会を当店で開催した。前置きが長くなったが、そのときデモ用ソフトとして同社が用意したなかの一曲が、名盤中の名盤、『チェット・ベイカー・シングス』の「マイ・ファニー・バレンタイン」だったのだ。

 さて、皆さん、チェット・ベイカーの唄、好きですか、嫌いですか?昔から、ジャズ・ファンのあいだでは、チェットの唄を「気持ち悪い」「変態」とかいって激しく嫌悪する、まことに失礼な人が大勢いた。美少年なうえ、ソフトに、か細く、囁くように唄うそのスタイルが「ゲイ」や「バイセクシャル」を連想させたからだと思うが、それにしても、そんなに嫌悪するこたぁないじゃないかと、ノンケなわたしはノンキに考えていたものだ。

 実際、チェットの唄はすごい。特にこの『チェット・ベイカー・シングス』は最高である。いったいどこが気持ち悪いというのか。このよさがわからんなんて、なんと可哀相な人たちなんだろう。長年そんなふうに思い続けていたノンケなわたしだが、「サウンドリマスターRMS-1000」を繋いだチェットの声を聞いて、愕然としてしまった!

「うわっ、気持ち悪っ!」言葉は選ばないといけないが、これはまるでゲイバーのママさんのよう。なんというか声が男色なのだ。チェットの唄は、まぎれもないジャズであるから、当然ジャズ向きポジションである「セッション」で聴くべきところ。それをクラシック向きの「アンサンブル」ポジションで聴いたのだ。この音で聴いたら、そらわたしも拒絶するわ。

 気をとり直して、「セッション」ポジションで最初から。おお、これこれ。これこそわたしの知ってるオットコマエのチェットである。同じ色気でも、こちらは女子がキャーキャー言う色気。

 要するに何が言いたいかというと、再生音の軸がほんの少しズレることで、音楽の聞こえ方がガラリと変わってしまう、マスタリングも含む再生装置の音質如何で演奏者の表現したいことが変質してしまうということ。

 チェットの唄を拒絶してた人たちは、そういう感性だから嫌ってたわけじゃなく、もしかしたら再生装置がジャズに適さないものだった可能性もある。これがオーディオの怖いところ。オーディオ製品はオールマイティに完璧な再生ができるわけじゃない。世間一般が思ってるほど進化してるわけじゃないのだ。

 さあ、あなたのお宅ではどうですか?チェットの唄、好きですか、嫌いですか?

【収録曲一覧】
1. ザット・オールド・フィーリング
2. イッツ・オールウェイズ・ユー
3. ライク・サムワン・イン・ラヴ
4. マイ・アイディアル
5. アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォア
6. マイ・バディ
7. バット・ノット・フォー・ミー
8. タイム・アフター・タイム
9. アイ・ゲット・アロング・ウィズアウト・ユー・ヴェリー・ウェル
10. マイ・ファニー・ヴァレンタイン
11. ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー
12. ザ・スリル・イズ・ゴーン
13. アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥ・イージリー
14. ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング

[AERA最新号はこちら]