私は田中角栄に対して、功罪相半ばの気持ちを持っているから、軽々に肯定したり批判したりはしない。しかし、田中という存在があることによって、私たちはこの国の本質や偽善を見抜くことができるのだと、はっきり言える。それこそが重要なのに、それに気づかせないようにするために、「田中ってこんなことも知らないんだよ」と後世に伝えようとする。それに対しては、弁解してあげなきゃいけない。

 田中内閣の支持率は70%を超えたこともあったが、政治資金の問題が批判されてから10%前後まで落ち込んだ。この数字から、何をくみ取るべきか。

 田中が欲望を政策にするとき、実は国民も欲望を政策化してほしいから、一生懸命に支えた。しかし、欲望を政策化することには後ろめたさもあった。ひとたび田中が批判されると、今度は足蹴にする。それは自分を足蹴にしているのと同じだ。私たちはその点にも気づくべきである。

 さて、8月8日に天皇自らが「お言葉」を発表して注目された生前退位の本質は何か。これは素朴に受け止めるべきだ。

 大日本帝国憲法と旧皇室典範はセットになって、天皇主権国家をつくっていた。天皇を神権化する国家。最終的にはそういう国家に突き進んでいた。

 それが戦争によって解体した。大日本帝国憲法は今の憲法に変わった。日本国憲法は市民的権利を保障している。そして、天皇を象徴とするなら、皇室典範も変えなければならない。

 天皇はその矛盾について声を大きくして訴えたのである。はっきり言えば、「皇室典範を変えてください」となる。「私が象徴天皇としての役割、公務をはたせないなら、もう天皇であるとは言えない。それを認めてほしい」と。これは天皇にしか言えない。

 天皇の心の叫びには、「大正天皇を見てください。昭和天皇を見てください」という訴えがあるとも思う。

 大正天皇は大正10年11月から、崩御する大正15年12月まで病に伏し、摂政を置いた。20歳の昭和天皇が皇太子として摂政についた。昭和天皇は昭和62年4月29日に倒れた。翌年9月からほとんど寝たきりになり、今の天皇が公務を代行した。

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