「塩崎厚労相側が舛添前都知事側に『跡地の隣の土地も東京都のものなので、都で利用を考えてはどうか』という打診をしたという話を聞きました」

 こうしたなかで、広尾病院の移転案が浮上したという。もともと、塩崎氏と舛添氏は自民党時代から親密な関係だ。

「舛添さんは、塩崎さんや菅(義偉・現官房長官)さんと一緒に、10年に『経済戦略研究会』というグループをつくって、よくお酒を飲んでいた。その後、舛添さんは自民党を出ていったが、その後も酒を酌み交わす仲は続いていました」(自民党関係者)

 都幹部によると、それまでは、広尾病院を現地で建て替える案も関係者の間では有力視されていた。しかし、この時期を境に、都は移転案に傾いていく。そのことを裏付ける、二つの内部資料を本誌は入手した。

 一つは、昨年6月30日にみずほ情報総研が都の依頼で作成した「広尾病院の改修・改築のあり方に関する調査業務報告書」(みずほ報告書)。もう一つは、これも都の依頼で今年1月29日に伊藤喜三郎建築研究所が作成した「都立広尾病院整備に係る調査業務報告書」(伊藤報告書)だ。二つの文書は、移転案や現地建て替え案などが比較検討されている。

 みずほ報告書で注目すべきは、当時の広尾病院長である佐々木勝氏が現地建て替え案を、〈東京の安全安心の象徴としての都立広尾病院の改築を行わない理由は見当たらない〉と、強く推していることだ。

 たしかに、みずほ報告書にある「現地建て替え案」のメリットとデメリットを比較した表では、15項目中13項目で「○」、残りの2項目で「◎」が付いている。

 ところが約7カ月後に作成された伊藤報告書では、一転して現地建て替え案が厳しい評価となる。6項目中5項目が「△」、残り1項目は「×」となった。特に、みずほ報告書では、建築期間が<オリンピックまでに新築可能>で評価が「○」となっていたのが、伊藤報告書では<概(おおむ)ね10年>で「×」になっている。

 同じ調査で、なぜ結果が異なるのか。これでは「先に移転ありき」の報告書と思われても仕方がないように見える。

 国の要請に呼応する都。その決定は一部の関係者だけに知らされ、地元医師会などには何の相談もなく、現地建て替え案は闇に葬り去られた。

 ただ、たとえ「先に移転ありき」で作業が進められていても、土地購入費用370億円の予算が都議会で承認されなければ、計画は頓挫したはずだ。ところが、都議会ではきちんとした審議はなく、予算案は可決・成立している。これが二つ目の謎だ。

 作家で元東京都知事の猪瀬直樹氏は、そのカラクリをこう解説する。

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