鳥飼:難しい質問ですね。日本人にもすぐれた英語の使い手がたくさんいますから、「日本人だからダメ」ということはないと思うんです。ただ、言葉に対する日本人の態度という意味で、課題はあるかもしれません。私、小学生のころ、通信簿に「口数が多すぎます。注意しましょう」と書かれたんです。
林:まあ、そうなんですか。
鳥飼:日本では、おしゃべりは軽佻浮薄で、黙っているほうが無難。でも英語って、「ここまで言うか」というくらい熱心に伝える。その違いは大きいですね。日本の英語教育はそういった問題を考えて議論することなく、また、実施した改革を検証することなく、ただ改革を繰り返してきた。そして行きついたのが、「小学校からの英語教育」なんです。
林:何年前から始まったんでしたっけ。
鳥飼:2008年に5、6年生を対象にした英語活動の必修化が決まって11年から実施されていて、次の学習指導要領では、5、6年生は英語が教科になり、英語活動は3、4年生から始めることになっています。でも、早く始めればいいという問題ではないし、英語嫌いを増やすだけだと思うんです。というのも、私は英語授業のある小学校に行っていて、それで英語が嫌いになりかけたんです。母から教わった発音をしたら、日本人の先生に「子どものくせにキザな発音するんじゃないの!」ってものすごく怒られて。ほんとに悲しかったんですよ。
林:お母さまは英語が話せたんですか。
鳥飼:話せました。私が泣きながらうちに帰ってその話をしたら即座に、「それは先生が間違っている」と言って、学校に抗議したみたいです。小学生にとって先生は絶対的な存在なのに、その先生が間違った指導をしている。今だってふつうの学級担任の先生が、「なんで私が英語を教えなきゃいけないの?」と思いながら教えてるわけですよ。
林:ネイティブの人が教えるのなら、いいんですか?
鳥飼:ネイティブスピーカーといっても、日本の公立学校に来ている英語指導助手の大半は、教えるプロではないんです。発音のモデルはできても、どうやったらその音が出るのかは教えられないんです。
林:鳥飼さんは文科省のいろんな委員会の委員もされてますが、そういう場でもおっしゃってくれているんですか。
鳥飼:私はあまりにも文科省批判を繰り返してますから、もう委員は頼まれないです。林さんもおっしゃってくださいよ。
※週刊朝日 2016年9月23日号より抜粋