俳優常盤貴子ときわ・たかこ/1972年、神奈川県生まれ。91年、俳優デビュー。映画「赤い月」(2004年)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。主な出演作品に、「20世紀少年 全3部作」(08・9年)、「アフタースクール」(08年)、「引き出しの中のラブレター」(09年)、「CUT」(11年)、「野のなななのか」(14年)など。連続テレビ小説「まれ」(15年)に出演。映画「だれかの木琴」は9月10日(土)から全国公開予定(撮影/植田真紗美、スタイリング/吉村結子、ヘア&メイク/谷口祐里衣)
俳優常盤貴子
ときわ・たかこ/1972年、神奈川県生まれ。91年、俳優デビュー。映画「赤い月」(2004年)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。主な出演作品に、「20世紀少年 全3部作」(08・9年)、「アフタースクール」(08年)、「引き出しの中のラブレター」(09年)、「CUT」(11年)、「野のなななのか」(14年)など。連続テレビ小説「まれ」(15年)に出演。映画「だれかの木琴」は9月10日(土)から全国公開予定(撮影/植田真紗美、スタイリング/吉村結子、ヘア&メイク/谷口祐里衣)
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「連ドラの女王」と呼ばれ、数々の大ヒットドラマの主演やヒロインを務めてきた常盤さん。現在はドラマはもちろん、映画や舞台でもご活躍。「自由に生きちゃっている」とはご本人の弁。お仕事やご家族のこと、いっぱい話してくださいました。

林:ところで、私が常盤さんと初めてお会いしたのは、常盤さんが橋田賞を受賞されたときでしたね(97年)。

常盤:もう20年近く前ですね。

林:そのときは「あ、ホンモノだ!」とか言って、柴門ふみさんと一緒に「お願いしま~す」って写真撮っていただいたんです。当時、常盤さんは「連ドラの女王」と呼ばれていて、1年に何本もの連ドラに出演して、それがどれも大ヒットだったんですよね。

常盤:ただやってただけなんですけどね。

林:よく体がもちましたね。

常盤:事務所の社長はテレビ局の人に、「女優をつぶす気か」って言われたりしたみたいです。当時、連ドラの主演は、1年に1回ぐらいがふつうだったので。でも、そのころの私はほんとにお芝居を求めていて、スポンジのように吸収する時期だったから、やればやるほど自分が成長していくのがわかってた。周りからは「連投なんてあり得ない」って言われたりしたんですが、そんなの大きなお世話よ、放っておいてほしいな、と思ってました。

林:あのころはドラマの黄金期で、今から思うと視聴率も夢のような数字でしたよね。常盤さんはいろんなヒロイン像を見せてくださったけど、私は「Beautiful Life~ふたりでいた日々~」(00年)や「愛していると言ってくれ」(95年)が好きで。当時の名作、みんな常盤さんが演じてたような気がする。

常盤:そんなことないですけど、いい時代だったんでしょうね。

林:すっごく忙しかったでしょう?

常盤:忙しかったんですが、一つの作品が終わったら、最低3日、できれば1週間くらいは必ず空けてもらっていたんです。私は不器用だから、1コずつしかできないんですね。そこでリセットして、また次の作品に入ることができました。それを死守してくれた事務所に感謝しています。

林:常盤さん、ご自分で事務所を探されたそうですが、どの事務所がいいか、いろいろ調べたんですか。

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