ローラン・ル・ボンLaurent Le Bon/パリ・ピカソ美術館館長。1969年生まれ。パリ政治学院およびルーヴル学院卒。2000年からパリ、ポンピドゥーセンターのキュレーターを務め、08年から同センター・メス分館館長。14年から現職(撮影/写真部・加藤夏子)
ローラン・ル・ボン
Laurent Le Bon/パリ・ピカソ美術館館長。1969年生まれ。パリ政治学院およびルーヴル学院卒。2000年からパリ、ポンピドゥーセンターのキュレーターを務め、08年から同センター・メス分館館長。14年から現職(撮影/写真部・加藤夏子)
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 ピカソのシュルレアリスム時代の名品「ミューズ」が初来日中だ。ミューズとは、芸術家にインスピレーションを与える女神のこと。

「『ミューズ』が描かれた1935年は、パブロ・ピカソのキャリアの半ばにあたる重要な年です。1881年に生まれた彼は、45歳のとき、彼にとっての女神マリー=テレーズに出会いました。彼がとても幸福な時期であり、この作品は、その象徴的な存在なのです」

 そう語るのは、パリ・ピカソ美術館館長のローラン・ル・ボン氏。

 だが、ピカソはこの年、「ミューズ」を1月に仕上げたあと、一点も絵を描いていない。

 1927年1月、ピカソはパリの路上で、ひとりの少女に声をかける。芸術にはまったく興味のない、スポーツ好きの17歳――それがマリーだった。彼女を得たピカソが、200点以上ものシュルレアリスム作品を生み出した35年1月までの年月は、彼の創作活動が最も充実した時期と言えるだろう。

 だが、「ミューズ」を描いた4カ月後、マリーの妊娠が判明。翌6月には妻に露見して別居に至る。マリーは無事に女児を出産するが、女から母親になってしまった彼女との関係は変化。ピカソは絵の制作ができなくなる。彼にとって愛する女性は自己の内面を作品に映しだす鏡。まさに女神(ミューズ)だったのだ。

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