オバマ大統領の広島訪問が決まった。キッシンジャー元国務長官もタブー視した原発問題に、どうオバマ大統領が向き合うのか、ジャーナリストの田原総一朗氏は期待を寄せる。
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20年ほど前、東京の国連大学で、米国元国務長官のキッシンジャー氏と、元ソ連大統領のゴルバチョフ氏、日本の首相を5年間務めた中曽根康弘氏とのシンポジウムを行い、私が司会役を務めた。話題は多岐にわたったが、その中で私は、キッシンジャー氏に問うた。
「米国は太平洋戦争末期に、日本の広島と長崎に原爆を投下し、20万人以上の市民が犠牲になった。この責任をキッシンジャー氏をはじめ、米国の国民はどうとらえているのか」
私が問うと、キッシンジャー氏は緊張した表情になり、腕を組んで2~3分間考え込んだ。そして、考え考えしながら話しだした。
「もしも、わが国が原爆を投下しなかったら、日本は本土決戦に突入したのではないか。そして本土決戦となれば、米軍の死傷者もすさまじい数に上ることになったはずだが、日本人も数百万人が生命を失うことになったのではないか。原爆投下は、結果として米日両国のおびただしい犠牲者を出さないで済んだ。そういうことにならないか」
つまり、原爆投下は日米両国のおびただしい犠牲者を出さないための、トルーマン大統領による正しい選択だった、ということだ。
広島には、現在でも多くの原爆被害者がいる。原爆の悲惨さを示す原爆資料館もある。米国の為政者たちがいかに「正しい行為だった」と主張しようが、悲惨な原爆被害者たちに対しては投下の責任がある。大統領が広島や長崎を訪れれば、何らかのかたちでその責任を示さなければならなくなるはずだ。
だが、それを示すことは、米国人の「原爆投下は正しかった」という正当論に水を差すことになり、そうした論者の神経を逆なでする。それを恐れて、どの大統領も広島、長崎を訪れなかったのである。
私は当時、キッシンジャー氏にさらに「原爆投下により戦争を早く終わらせ、米日両国の被害を少なくしたことは事実だろうが、二十数万人の死者が出たことはあきらかで、これらの犠牲者に対しては、どのように対応するつもりか」と問うた。答えはなかった。つまり米国人の多くにとって、広島、長崎は触れたくないタブーになっているのではないか。
だから、オバマ大統領が5月26、27日に伊勢志摩で開かれるサミットのため来日する際、広島を訪問すると発表したことの意味は大きい。大きな前進である。
オバマ大統領は7年前、プラハで「核兵器のない世界を目指す」と演説した。そこで、大統領としての最後の来日で広島を訪れることで、核兵器なき世界への志向を強めようとしたのであろう。だが、米国は核兵器を使用した唯一の国であり、そのことへの「特別の責任」がある。広島を訪れるということは、オバマ氏がそのことを曖昧にしない覚悟を有しているということだ。
ただ、広島ではプラハで行ったような演説はしないようだし、被爆者との面会についても日程は固まっていないようだ。オバマ氏が、広島で原爆投下についてどのような「責任」を示すのか、期待したい。
※週刊朝日 2016年5月27日号