「監督は、旧満州で過ごした子供時代、ラジオから流れてくる落語がとても好きで。引き揚げのとき、分厚い落語全集3冊がリュックの中に入らず、泣く泣く置いてきた。そのとき、“本は残すが、落語に対する思いは持ち帰ろう”と思ったそうです。監督の撮る喜劇は、すごく落語に通じる部分があります。今度の映画も、失敗したり、見えを張ったり、嘘をついたりひがんだり焼きもちを焼いたり。困った人たちばかりが出てくる(笑)。でも、最後は笑いになるんです。撮影の休憩時間には、監督から、落語に対する思いを伺うこともできて、こんなに幸せなことがあっていいのか、と。撮影中は厳しかったですけど(苦笑)」
有名な噺家の家に生まれたものの、子供の頃、「落語をやりなさい」と言われたことは一切なかった。自然に落語が好きになり、「笑っていただけて、寄席にも通える。こんないい商売はないぞ」という単純な気持ちで落語家を志した。
「好きなことができているので、たとえば親父と比べられたり、芸を酷評されるようなことがあっても、苦労だと感じたことは一度もない。後世に何かを残したいとか、人を笑わせたいとかいう欲望も、微塵もないですしね。“うまくなりたい”と悩むことはありますけれど……。親父がよく言ってました。『何に対しても素直でいろ』『芸の芯の部分は、素直だぞ』って。親父なんか、“笑わしてやろう”っていう欲丸出しの芸に見えますけど(笑)、そうじゃない。素直なんです。“喜んでもらいたい”、それだけなんです。私も同じ。一生懸命やってる私を見て何か思っていただけたら、それで十分」
※週刊朝日 2016年3月25日号