安倍首相と翁長知事“仮面の和解” (c)朝日新聞社
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 沖縄県名護市の辺野古新基地建設問題が、新たな局面に突入した。安倍政権が翁長雄志(おながたけし)知事を訴えた代執行訴訟で、国が福岡高裁那覇支部の和解案を受け入れたのだ。埋め立て工事は当分、中断されるが、辺野古の反対運動が激化していた2014年10月19日、地元を戦慄させた“不審死”があった。亡くなったのは、反対運動のリーダー的存在だった染谷正圀氏(72=当時)。染谷氏は、汀間(ていま)漁港(名護漁協汀間支部)の突堤に係留する抗議船「なずき丸」(プレジャーボート1.8トン、定員13人)に向かったはずが、波打ち際で死んでいたのだ。

 抗議船仲間の一人、仲本興真氏が語る。

「堤防に染谷さんの携帯電話と靴が片方だけ残され、行方不明になっていた。海保がなずき丸の周辺を3人くらい潜っていました。地上にいた海保から『染谷さんが見当たらない。海に飛び込んだらしい。一緒に船で捜してくれ』と言われて船を出しましたが……」

 染谷氏は午前11時ごろ、波打ち際でうつぶせになって浮いているところを海上保安庁職員に発見されたという。ドクターヘリで病院に搬送された。妻や義弟も駆けつけたが、11時58分、死亡が確認された。

 染谷氏は生前、政治家の秘書として活躍。沖縄を代表する革新政治家だった瀬長亀次郎氏が衆議院議員時代に秘書を務めたこともある。14年4月から沖縄に本格的に移住し、辺野古の抗議活動に参加。豊富な経験で反対運動を牽引し、仲間の信頼も厚かった。

 当日の夕方5時、抗議船仲間の相馬由里氏はなずき丸の点検のため再度、港を訪れた。堤防に2人の男性の影。うち1人はなずき丸に乗り込んでいた。相馬氏に気づくと、その男性は「船が流れそうだったからロープでくびっておいた」と言った。

 現在のなずき丸のオーナーで、染谷氏の友人でもあった前宮一徳氏が訝(いぶか)しむ。

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