西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、今季限りで現役を引退した西武・西口文也選手にこうエールを送る。

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 西武の投手として活躍し、今季で引退した西口文也が、球団の編成部に所属して第二の人生のスタートを切った。今後、日本の独立リーグや、台湾、中国、豪州などを単身で視察し、練習法や指導法を学ぶ。要望に応じて指導もするという。いわば個人事業主でもある選手の立場とは違い、人に教えたり、相手の目線で物事を考えたりする必要も出てくる。難しい面もあるが、応援していきたい。

 西口とは、長い付き合いになったな。私が監督に就任した1995年が入団1年目だった。その年に米国の独立リーグ「ノーザンリーグ」のスーシティ・エクスプローラーズに留学させたが、1年で呼び戻した。キャンプで鍛えようとしたが、驚くほどに細かった。当時の森繁和投手コーチが西口の食事につきっきりで、詰め込ませていたのを思い出すよ。

 実に特徴のある右腕だった。プレート上では、軸足である右足を三塁側にセットし、踏み込んだ左足をさらに三塁方向にクロスさせ、体のひねりで外角低めに制球する。スライダーは縦に落ちて空振りも取れる。本当に安定感抜群だった。

 松坂大輔(現ソフトバンク)が99年に鳴り物入りで入団したが、当時はブルペンで見比べても、球威、キレ、制球力、どれをとっても西口が上だった。初めて大輔に開幕投手を任せた00年。西口に開幕日とは違う登板日を伝えると、「わかりました」とすべてをのみ込んでくれた。文句も言わず、黙々と与えられた試合で結果を残す。私と同じ和歌山県の出身。言葉をはさまなくても、信頼して起用していた。

 
 いつだったろう。監督を辞めたあと、西口が勝てなくなったときに彼のクロスステップの矯正を勧めた。年をとって、回転力や馬力が落ちた状態では、体全体への負担が大きすぎると伝えた。彼は試合でも試したが、しっくりこなかったらしく、元に戻した。もう少し器用だったら、あと18勝で届いた200勝も達成できたのではないかな。

 引退会見で「思い出すのはノーヒットノーラン」と話していた。達成目前で逃した試合が3度もあった。日本シリーズには5度出場して7試合に登板し、0勝5敗。200勝だけでなく、どこか殻を突き破れないところがあったな。

 だけど、それも彼の魅力なのかもしれない。選手時代は「運がなくなるから」と笑っていたけど、プロには、“偉業”や“数字”も必要な要素ではある。

 今後は、自分と違う性格の選手にも強く言い聞かせなければいけない。自分にないものを積極的に採り入れていくことが大切だな。

 巨人の高橋由伸監督をはじめ、40代の指揮官が増えている。野球界の進歩についていけるのは、経験があり、若さとエネルギーを持った人間だ。監督はグラウンド内の選手の動きだけを見て、試合で采配をふるっていればいい時代ではない。選手個々の性格を把握し、言葉のかけ方、タイミングも計らねばならない。西口も、言葉で伝える発信力を磨かないといけない。将来は西武の投手コーチ、そして監督も務めるかもしれない。すべて将来の自分につながると思って取り組んでもらいたい。

週刊朝日 2015年12月4日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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