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 芥川賞受賞でベストセラーとなっている『火花』。発表直後から「傑作」だと感じていた作家でエッセイストの嵐山光三郎氏が、著者の又吉直樹氏にエールを送る。

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 べつに自慢しているわけではありませんが(じつは自慢している)又吉直樹『火花』が単行本化されたときにすぐ買い求め、会う人ごとに「これは傑作小説だ」と吹聴してきた。それがミルミル売れて、芥川賞を受賞するとあっというまに200万部をこえたときはたまげた。テレビCMで又吉氏が宣伝しているのを見て、300万部売るつもりか、と溜息が出た。

 文藝春秋に掲載された芥川賞受賞者インタビューで又吉氏は太宰治の影響を受けたと語っている。中学2年のとき『人間失格』を読み、自意識過剰な主人公と自分が重なって衝撃を受けた。これは70代の旧世代と同じで、中学生時代に太宰にとりこまれて、太宰病にかかる。さらに3年ほど太宰の作品にとりつかれて、熱病がさめる。

「人間失格」といわれるとぎくりとするが、「人間合格」なんてのはいないわけで、合格はむしろ病気だ。太宰は小説のタイトルと語り口がうまい。又吉氏が私の世代と同じような読書体験だと知って「古風な人」という印象を持った。

 太宰が芥川龍之介の自殺を知って衝撃を受けたのは18歳(昭和2年)である。2カ月前に芥川の講演を聴いた直後だけに、芥川自殺の影は生涯、太宰の生き方につきまとった。旧制弘前高校の弘高新聞に小菅銀吉の筆名で「花火」を書いたのは20歳。

「道化の華」「逆行」が第一回芥川賞最終候補にあがったのは26歳で、選考の結果、受賞作は石川達三の「蒼氓(そうぼう)」に決まって、太宰を落胆させた。

 芥川賞選評で川端康成が「私見によれば、作者目下の生活に厭(いや)な雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった」と書いて、太宰を激怒させた。

 昭和11年6月、檀一雄の奔走によって『晩年』(砂子屋書房)が刊行された。限定500部印税なしであったが、本は売れ残った。『晩年』が芥川賞候補にあがり、今度こそは受賞できると確信した。選考委員の川端へ「芥川賞を与へて下さい」と長文の手紙を書いたのはこのときである。「早く、早く、私を見殺しにしないで下さい」とすがる手紙であったが、受賞しなかった。

 ということで、50年ぶりに太宰治を読みなおしたところ、どれもこれも傑作ぞろいで、芥川賞をとれる作品は30作以上あった。中学、高校時代に読んで、卒業したと思っている小説を読みなおすと、気がつかなかった発見がある。

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