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 天下統一を成し遂げた父・信長に比べ、凡庸以下の人物として描かれることが多い織田信雄(のぶかつ)。織田家18代当主・織田信孝(のぶたか)氏は、73歳まで生きた信雄について「大切なご先祖の一人」という。

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 京都の大徳寺内には、本寺(本坊)のほか、数多くの塔頭(たっちゅう・子院)がある。その一つ、総見院(そうけんいん)には信長をはじめ、信忠、信雄など信長の息子、長女の徳姫(とくひめ)、正室の濃姫(のうひめ)、側室のお鍋の方などの墓がある。「本能寺の変」の後、大徳寺で秀吉が信長の葬儀を行ったのが総見院の始まりだ。

 私は今、ほぼ毎年のように総見院にお参りしているが、これはしきたりでもなんでもなくて、そうするようになったのはまったくの偶然だった。大徳寺に織田家の墓があることは知っていたものの、行ってみたら一般公開していなかったので、お参りはできないと思っていたからである。子孫だからといって無理に参拝を頼むわけにもいかない。

 ところが7年ほど前、大徳寺の近くにある建勲(けんくん)神社に足を運んだとき、なぜか帰りに大徳寺に寄ってみようという気になった。建勲神社は信長を祭神とする神社で、私は毎年、秋の大祭に参列していた。いつもは多忙な中、すぐに東京に戻るが、このときはなんだか見えない力に引かれるように大徳寺へ行きたくなって足を延ばした。すると「特別拝観」という期間中で、普段は入ることのできない総見院、黄梅院(おうばいいん)、興臨院(こうりんいん)の三塔頭が公開されていた。そこで初めて、織田一族の墓に詣でることができた。

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