「自宅で最期を迎えたい」と希望していても、家族の負担などから実際には難しいと感じる人は多く、そのための情報も十分に伝わっていない。同じ2年前に自宅でがんの親を看取った衆議院議員の小池百合子さんと、医師で作家の久坂部羊さんが、子の立場からその体験と最期の迎え方を語り合った。
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小池百合子(以下、小池):一緒に住んでいた母が、2013年の9月、88歳で自宅から旅立ちました。亡くなる1年半前に肺がんが見つかり、母と私、二人で話し合うなかで、手術や抗がん剤などの治療を一切受けず、「がんと共生しながら、残りの人生を楽しむ」という道を母は選び、それを私もサポートすることになりました。ところが、一昨年の夏はとても暑くて、体調を崩した母は、体力を取り戻すため入院したのですが、検査、検査で疲れ切って。入院前よりも弱々しく、ろくに食事もできない状態になりました。お医者さんは余命1カ月だと。あらためて母の思いを確認して、「家に帰ろう」と二人で決めたわけです。
久坂部羊(以下、久坂部):私の父も、2年前の7月に自宅で亡くなりました。年齢も87歳で、その2年前に前立腺がんが発見されているので、小池先生のご家庭と重なるところがとても多いですね。
小池:そうですね。
久坂部:なおかつ、父も前立腺がんを治療しないで、残された時間を家で有意義に過ごしたいと思っていましたから、その点も共通しています。ただ、父は元麻酔科の医師で、私も在宅医療を長くやっている医師なので、親子の間で、85歳でがんになったら、治療するよりも自然に任せるほうがいいという判断はすごく簡単にできたし、病院にできるだけ行かないようにしようということも、容易に決められました。
小池:自宅で看取る側と看取られる側、両方が医師とは、珍しいケースかもしれませんね。
久坂部:ええ、たしかに。別の医師にも父の訪問診療はしていただいたんですが。でも、私が言いたいのは、自宅で最期を迎えることを不安がる必要はないということです。治療が有効な病気もたくさんありますが、死に対しては、医療は無力なんですね。死を間近にして医療に頼るほど、よけいな苦しみやわずらいが増えてくるので、自然に任せるのがいちばんいいんだけれど、医学や医療が進歩したために、病院で治療を受けなきゃいけないんじゃないか、受けたほうがいいんじゃないかと思っている人が多いように感じます。
小池:体調が悪くなれば病院で診てもらう、あるいは入院する、というのが、すっかりみんなの意識に刻み込まれていますからね。母の場合、治療の段階を過ぎていたので、家では、在宅医の先生や、先生の奥様である訪問看護師さんから、主に痛みをコントロールする緩和ケアを受けました。そこで、結局、何がいちばん緩和されたかというと、不安なんですよ。
久坂部:ご本人、ご家族、両方の不安ですね。
小池:そう、みんなの不安。特に在宅医の先生が、母が亡くなる過程において、「今、この段階にいますよ」「この先はこうなる可能性があります」というように、ナビゲーターになって、死にゆく母にこれから起こりうることやその対応の仕方を、家族に分かりやすく説明したり、メモに記したりしてくれました。「ここからは本人が苦しみますから、家族は優しく接してください」とかね。目の前の不安、先の不安が和らぎました。
久坂部:それは、素晴らしい説明のノウハウをお持ちの先生ですね。こういう上手な説明を医師にしてもらうと、看取る家族の不安が消えて、終末期の場面で、点滴とか酸素吸入とか、よけいな医療を求めなくなります。そして、家族がでんと落ち着くと、患者さん本人の不安もある程度、収まるんです。
※週刊朝日 2015年7月10日号より抜粋