彦根城
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 井伊家18代目当主の井伊直岳(いい・なおたけ)氏は、当主になった経緯とその苦労をこう明かす。

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 ほかの殿さま方と同じように、井伊家も明治維新以降は東京に住んでいました。

 将軍から拝領した江戸の屋敷は、すべて明治政府に返上しました。現在では、上屋敷は国会議事堂の前にある憲政記念館に、中屋敷はホテルニューオータニに、下屋敷は明治神宮にそれぞれなっています。

 彦根城も国のものとなりましたが、直弼(なおすけ)の息子・直憲(なおのり)の時代に下賜され、井伊家の持ち物となりました。1944年に彦根市へ寄付しましたが、持ち続けていたら、維持費や相続税でどれだけ大変だったことか。

 戦時中に、先々代の直愛(なおよし)たちは彦根に疎開します。戦争が終われば東京に戻るつもりだったのですが、奥方の文子が結核で10年間も寝込んでしまった。東京よりも空気が良いですから、そのまま彦根にいたのですが、そうこうしているうちに、直愛は立候補して市長になり、連続9期、36年間も務めました。“殿さま市長”とも言われ、坂東八十助(現・三津五郎)さんと一緒にネスカフェのCMに出たこともあります。

 直愛の孫が私の妻・裕子です。2人姉妹で男兄弟はいません。初代の直政以降、井伊家は他家からの養子を当主にしたことがありませんから、初めての婿養子ということになります。

 私は大学院で学んだあと、彦根市の市史編さん室に就職しました。妻は職場の先輩です。「井伊さん」と聞いても、彦根ではなく三重県桑名市生まれの私にとっては、「へえ、そうなんだ」といった感じでした。つき合い始めてもそれほど驚くようなことはなかったですよ。直愛が住んでいた“御浜御殿(おはまごてん)”の屋敷は古くて広いですけど、先代・直豪(なおひで)の家は一般の現代家屋でしたし、格別なしきたりもなく意外に普通でした。

 直豪が長く患っていて、存命中に結婚式をしようと、2000年1月に結婚しました。結婚するまではのんきなものでした。驚いたのは井伊姓に名字が変わった後です。地元のみなさんがとても大事にしてくださるのです。

 地元の方から講演などを頼まれたときや、逆に市職員としてお願いごとに行くときでも、こちらが恐縮してしまうほど丁寧に接していただくことがあります。

 結婚して7カ月後に直豪は亡くなり、私が当主となりました。大変だなと感じるのは、井伊家当主として、いろいろなイベントや式典に来賓として出席しなくてはいけないときでしょうか。普段は市の一職員ですが、このときは別の立場になります。お茶席で、市長よりも上座の正客(しょうきゃく)に据えられることもありました。仕事のときとはちがう順番になってしまいますが、そうしないと場が収まらないなら受け入れるしかありません。

 それでも、最近は時代が変わってきているのを感じます。地元でも井伊家をご存じではない若い方が増えてきました。これまでは「あの井伊さんですか」と言われることが多かったですから、反応がないのは新鮮です(笑)。

 今年は直弼が生まれて200年になります。彦根市では「井伊直弼公生誕200年祭」として、いろいろなイベントを予定しています。若い方たちにとって、直弼のことを知るきっかけになればうれしいです。

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日 2015年2月20日号