<後藤健二です>
件名にそう記されたメールが本誌記者に届いたのは昨年10月24日午前3時32分(日本時間)。
イスラム国の現状を聞きたいと、ツイッターアカウントから取材の申し込みをしていた返信だった。メールには、こう記されていた(原文ママ)。
<はじめまして。あらためまして、ご連絡をありがとうございます。シリアは、自由を求めるデモが弾圧され、宗派対立から内戦に変容した2012年春から訪れています。もう11回を数えます。「アラブの春」から始まって、まさかこんな状況に辿り着くとは正直想像できませんでした。お役に立てるか、わかりませんが、11月第一週は調整できますので、ご都合好き日時をいくつか頂けましたら幸甚です>
その後、数回メールのやりとりを続け、アポイントは11月5日午後6時で場所は東京・赤坂の後藤さんの事務所と決まった。後藤さんからの最後の返信は同24日午後10時4分――。
各報道によると、このとき、後藤さんはトルコ南部のシリア国境の町キリスで、シリア人通訳(34)に会っていたという。日本との時差はマイナス7時間。
その通訳に「友人の湯川遥菜さん(42)を助け出したい」と話し、その日はイスラム国の支配地域に近い場所で1泊。翌25日朝、通訳に撮影を頼んだというスマートフォンの動画に、こうメッセージを残した。
「何が起こっても責任は私自身にあります」
そして、妻や日本のテレビ局員の連絡先を書いた紙と携帯電話を通訳に預け、別のシリア人ガイドと車で出発。そのまま行方がわからなくなった。
(本誌取材班=古田真梨子、原山擁平、福田雄一、横山 健、小倉宏弥)
※週刊朝日 2015年2月6日号より抜粋