2014年1月3日に死去したやしきたかじん氏の闘病生活を描き、大論争を巻き起こしている百田尚樹氏著のノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)。その後も本誌は、作品には書かれなかった新証言を入手した。
『殉愛』では1993年に結婚し02年に離婚した前妻について、たかじん氏がさくら氏にこう説明するくだりがある。
<「去年、ヨリを戻したいと言うてきた」><復縁なんてありえへん。はっきりその気はないと言うた>
だが、百田氏は前妻を一度も取材しておらず、「事実と異なる」と訴えるのは親族の一人だ。
「話は逆で、たかじんさんのほうから前妻に『やり直してほしい』と何度も言ってきていた。食道がんとわかってからより熱心になりましたが、その頃、前妻はすでに再婚。それでも『僕が死ぬまでだけでも一緒にいてくれ。今の夫と籍抜いてくれ。財産はお前に全部やりたい』と。私もたかじんさんに『あいつしか看取ってくれる人はおらん。なんとかしてくれ』と説得を頼まれた。13年8月頃までそういう連絡があったが、前妻には新しい家庭もあり、断ったんです」
13年8月といえば、たかじん氏のがんの再発後で、同10月にさくら氏と結婚。約3カ月後に死去した。
たかじん氏の遺言書には遺産のうち6億円を遺贈すると記され、前号では2億円の遺贈先「OSAKAあかるクラブ」に対し、さくら氏が14年10月、遺贈放棄を迫った際、百田氏が同席したことを報じた。1億円の遺贈先だった母校の桃山学院高校でも、こんなできごとがあったという。
「さくら氏は桃山学院の校長と会い、たかじん氏が生前、書いたとされる“メモ”を見せたそうです」(桃山学院関係者)
メモはたかじん氏の長年の友人、桃山学院高校の温井史朗校長に宛てられたもので、こう記されていた。
<桃山に寄付受口になってもらい(略)、さくらの生活にかかってきそうなら、戻してやってほしい>(13年12月23日付)
温井校長を直撃した。
「たかじん氏の死後、さくら氏からメモを見せられたことは事実ですが、それ以上はお話しできません」
たかじん氏の寄付はいまだ実行されていない。
(本誌取材班)