酒を愛し、多くの人から慕われたイラストレーターで作家の安西水丸さんが3月19日に亡くなった。雑誌「古典酒場」編集長の倉嶋紀和子さんは、初めて出会った時に言われたことが今でも忘れられないという。

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「こういうの、嫌いなんですよね」。初めてお逢いした時の第一声だ。

「古典酒場」を創刊してまだ間もない頃、水丸さんに誌面にご登場を願った。「お気に入りの酒場で、酔いどれ話をお聞かせ頂けませんか?」。そんな不躾(ぶしつけ)な依頼をお引き受けくださり、指定されたのが銀座「卯波(うなみ)」。俳優の鈴木真砂女さんのお店だ。お孫さんに代替わりされていたが、移転前の大層風情のある古い日本家屋。その雰囲気に圧倒されていたところに、水丸さんから投げかけられたのが、冒頭の言葉だった。

 絵本『がたん ごとん がたん ごとん』『大衆食堂へ行こう』のほのぼのイメージとは真逆。初対面から毒舌の雨あられ。そのギャップに面食らいながらもお酒を酌み交わしていると、照れ隠しゆえの毒舌のような気もする。

 あの第一声も、その後のニヤリとした水丸さんの笑みが肝だったように思う。「好きな酒場で酔っ払った時の話をするなんて気恥ずかしいじゃないですか」。そうおっしゃりたかったのだ、今にして思えば。その時は、真に受けた。ビビった。でもなぜだか水丸さんの言葉をもっと聴いていたかった。

 以来、事あるごとに盃を交わさせていただいた。

「二日酔いになるために呑んでいるので要りません」。これは二日酔い防止薬をお勧めした時の水丸さんの言葉。「何を合わせても勝手でしょ。好き嫌いに正直にならなきゃ」。水丸さんがお好きだったカレー×日本酒の相性について聞かれた時の言葉。ありあまるほどの知識のその一片すらもひけらかさず、蘊蓄(うんちく)も語らず、いつもその場にいる人達をドキッとさせる言葉を吐かれた。そして驚いている私達を眺めニヤリとされていた。「まだまだ甘いな」。そう言われている気がした。

 いいものはいい。嫌なものは嫌だ。誰がどう言おうと自分の好みに正直にいたい、そういう姿勢を常に感じた。仕事の上ではもちろんのこと、お酒の場でも一種の美学として貫かれていたように思う。「だからボクは嫌われるんですよね」とおっしゃる顔が実に愉快そうだった。あたしは、あの毒舌にヤラれてしまった。毒がつまみになり、お酒をより一層の美酒に変えていく。水丸さんとご一緒していると、果てしなく呑める気持ちになった。

 実際、水丸さんとは、その酒場にある愛飲の「〆張鶴」を全部呑み干して帰るのが常だった。そうしておいて「クラシマ、もういい加減に帰ろうよ」と、いかにもあたしが暴走しているかのような言葉で、その日をしめた。むしろ水丸さんが率先して呑まれていたというのに。それはおそらく、酒場のお酒を全部呑み干すというちょっと子どもじみた遊びへの照れからの言葉だったように、今、思う。

 水丸さんの言葉は、何年経とうが、ふと湧き上がってくることがある。これからも、きっと。

週刊朝日  2014年4月18日号