ジャーナリストの田原総一朗氏は、ウクライナ南部のクリミアの編入を宣言したロシアについて、こういう。

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 各紙が「新冷戦時代の到来か」と大きく報じている。3月16日にクリミアで住民投票が行われ、ロシアへの編入への賛成票が、なんと96.77%に達した。18日、ロシアのプーチン大統領は「クリミアは強く揺るぎないロシアの主権下になければならない」と演説し、クリミア自治共和国とセバストポリ特別市をロシアに編入すると宣言したのだ。

 異変が起きたのは2月28日。ウクライナの首都キエフで反政府集会が盛り上がり、親ロのヤヌコビッチ大統領が追放されて6日後のことだった。クリミアの空港をロシア軍とみられる武装集団が制圧し、ウクライナ軍基地が包囲された。つまり、ロシア軍による管理下で、クリミアの住民投票が行われたのである。アメリカのオバマ大統領や欧州連合(EU)諸国のトップたちは、ロシアの武力によるクリミアの事実上の制圧、そして結果がはじめからわかっている住民投票を激しく非難し、資産凍結などの制裁を発表した。

 私は1965年にウクライナの首都キエフを訪れたことがある。この年にモスクワで「世界ドキュメンタリー会議」なるものが開催され、どういうわけか、私が日本を代表して訪ソしたのである。そしてソ連の各都市を訪ねたのだが、キエフは落ち着いた優雅な都市で、整然とした住居が並び、家々の玄関前にはきれいな花が植えてあった。当時ウクライナはソ連傘下にあり、私はキエフをソ連の地方都市の一つと思っていた。

 ウクライナの名が大きく報じられたのは86年、同国内のチェルノブイリ原発の事故のときだ。私がキエフを訪れたとき、女性ガイドが、「ウクライナはソ連の穀倉地帯です」と説明したのを思い出したものだ。

 そのウクライナが91年のソ連崩壊時に独立した。ただし、ウクライナ政権は基本的に親ロであった。ところがその親ロのヤヌコビッチ大統領が追放され、ウクライナはロシアと手を切ってEUに接近したのだ。

 東欧諸国が次々にロシアと手を切って、EUに加盟することに、ロシアの政府幹部たちは強い危機感を募らせていた。ソ連傘下だったウクライナまでもがEUの一員になることに、プーチンは我慢ならなかったのであろう。特に、クリミア半島南部のセバストポリにはロシアの重要な海軍基地がある。そのクリミアまでもが離反することは、何としても阻止しなければならなかったはずだ。

 もちろん、ロシアの軍事支配による強引なクリミア編入は認められない。だが、オバマ大統領が「ロシアは国際法に違反している」と非難していることには、私は大いに違和感を覚える。かつて「大量破壊兵器を持ち、アルカイダと連携している」というまったくの言いがかりをつけて、フセイン大統領のイラクに武力侵攻したのは、アメリカではなかったか。

 イラク戦争の3カ月前、私はイラクのバグダッドに飛び、ラマダン副大統領にインタビューした。彼は「我々が核兵器を持っていれば、米軍はわが国に侵攻できないが、残念ながら核兵器はない。だから安心して侵攻するだろう」と予言していた。

 私は、クリミア自治共和国はウクライナからの独立だけをして、ロシアへの編入はせずに親ロ関係を保つという選択をすれば、アメリカやEUから非難されなかったのではないかと思う。もっとも、現実の世界では、「独立」などというきれいごとは通用しないのだろうか。

週刊朝日  2014年4月4日号