北欧フィンランドの解剖室にはずらりと解剖台が並んでいる。同国の解剖率は78.2%(2009年)。解剖率が極めて低い日本の7倍を超えている。日本ではなかなか司法解剖に回されず、病死や自殺として処理されてしまう現状を、ノンフィクション作家の柳原三佳氏が取材した。

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 国会の法務委員会で3月19日、週刊朝日(同28日号)が報じた近畿圏の中高年男性が相次いで不審死している事件が取り上げられた。

「薬毒物によるものではないかと推測される10件以上の不審死が、1人の女性の周辺で判明しています。ずさんな検視で殺人が繰り返されたのか、自然死であったのか。いずれにせよ、警察への批判は免れません」

 警察庁にこう迫ったのは郡和子衆議院議員だ。まだ事件化していない段階で、関連の質疑が1時間も行われるのは異例のことだ。

 日本では過去にもトリカブトによる妻殺しなど、薬毒物を使った連続不審死事件が相次いで発覚してきた。警察が1人目で本当の死因をつきとめ、しっかり捜査していれば、第2、第3の犯行は確実に防げたはずだが、なぜ、不審死を見抜くことができないのか……。

 京都府立医科大学法医学教室の池谷博教授は語る。

「警察は死体や現場に特に不審なところがなければ“事件性なし”と判断し、司法解剖には回しません。検案を行う多くの警察医も法医学的な検査ができないまま、病死や自殺として死体検案書を作成せざるを得ないのが現状です。外から見ただけで死因を診断できるはずはなく、特に、薬毒物が使われているような場合は、最低限、尿や血液の検査が不可欠なのです」

 しかし、たとえそれらが採取されても、日本の警察が主に行っている簡易薬毒物検査では、極めて不十分なのだという。

「変死体であっても、たいていの場合、トライエージという簡易キットによる尿検査だけ。これではわずか8種類の薬物しか検査できません。しかも死体用のキットではないので正確な判定ができているのかわかりません。さらに、ヒ素や青酸カリ、農薬などは、特殊な検査をしなければ検出できません。また、鎮痛剤や睡眠薬などの常用薬物による殺人は過量の薬物が検出されて初めて犯罪が認知できるので、定量検査、つまり血液中の薬物の量を検査しなければ意味がないのです」(池谷教授)

 諸外国の場合、解剖率が高いだけでなく、遺体から採取した尿や血液は冷凍庫で長期保管しており、後になって連続殺人が疑われるような場合でも再検査が可能だ。しかし、日本ではそれらを保管する予算もない。

 2年前、警察庁刑事局長は「犯罪死の見逃しの防止という観点からは、解剖率を20%に向上させたい」と国会で答弁。が、現状は約11%にとどまっており、死因究明に関する予算は増えるどころか、検査経費に至っては単純平均で49%の減額を提案しているという。

「ひと昔前なら、若い人や既往症のない人、また、屋外で発見された変死体はまず解剖にまわされていました。が、最近は解剖が極端に減っています。京都府立医科大では昨年の3月、19体の司法解剖を行いましたが、今年は3月19日現在でわずか1体。国の方針を受けてせっかく解剖医を増やしたのに、このままでは減らさざるを得ないのが現状です」(同)

 池谷教授は、科学雑誌「nature」3月20日号で、「日本の解剖率は先進国の中で最も低く、ほとんどの死因は100年前と同じく目視で決められている」と主張。この記事を読んだニューヨークのジャーナリストからは早速、「This is crazy!」という驚愕のメッセージと共に、取材の依頼が入っているという。

 法医学的な検査をせずに死因を見極める今のシステムでは、また犯罪が見逃されてしまう。精度の高い死因究明を行うためには、警察主導ではなく、専門的機関の充実と連携が急務と言えるだろう。

週刊朝日  2014年4月4日号

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