大阪市内の地下通路で野宿する人たち (c)朝日新聞社 @@写禁
大阪市内の地下通路で野宿する人たち (c)朝日新聞社 @@写禁
2008年12月31日に東京・日比谷公園に開設された年越し派遣村 (c)朝日新聞社 @@写禁
2008年12月31日に東京・日比谷公園に開設された年越し派遣村 (c)朝日新聞社 @@写禁

 採用率2%以下という朝日新聞の歌壇欄に、「ホームレス」を名乗る公田耕一氏の歌が載ったのは2008年12月。そして昨年末から年明けにかけ、新たなホームレス歌人が現れた。『ホームレス歌人のいた冬』(文春文庫)の著者である三山喬氏は、彼らの出現に期待を寄せる。

*  *  *

 同欄に公田耕一という「元祖ホームレス歌人」が現れ、注目を浴びたのは、2008年12月から翌年にかけてのことだ。リーマンショックによる「派遣切り」で少なからぬ労働者が路上に投げ出され、日比谷公園に年越し派遣村が設けられた、あの冬である。

「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」

「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか」

 公田氏は採用率2%以下という「狭き門」を突破して毎週のように入選を果たし、歌壇の読者・投稿者の間では、路上から質の高い歌を詠み続ける氏への共感が、かつてない規模で広がった。

 しかし、このたったひとりの投稿者が引き起こしたブームは翌年9月、公田氏が28首目の入選歌を残し、ぷっつりと投稿を絶ったことで終わった。

 それから4年余り。連帯感に包まれていた紙面の思い出も薄れかけていたこの冬、ホームレスを名乗る入選者が再び、朝日歌壇に現れたのである。

「言ひ値にて雑誌を売りて得たる金三日の命を養ふに足る」(ホームレス)宇堂健吉

 朝日歌壇の4選者のうち、永田和宏氏がまず、昨年12月2日付紙面でこの歌を選び、3週間後には初入選を喜ぶ字堂氏の微笑ましい第2作が高野公彦氏によって選ばれた。

「紙上では市民権ありホームレスわが歌載れり初めて載れる」

 朝日歌壇の投稿規定では、住所、氏名、電話番号の明記が定められており、規定外だった公田氏の作品は議論の末に掲載された例外的存在であったが、宇堂氏の歌も同様の扱いとなった。

 すると、年が明けた1月6日、3人目のホームレス歌人が登場する。

「職業をホームレスと名乗る君の歌テント小屋にて拾い読みおり」(ホームレス)坪内政夫

 今度は馬場あき子氏が選んだ作品で、宇堂氏の入選歌に関連する投稿歌だった。もちろん宇堂氏も坪内氏もホームレスを自称しているだけで、果たしてそれが事実なのかどうかは確認のしようがない。

 しかし、申告を素直に受け止めれば、あれから5回目の冬、アベノミクスによる景気回復が語られる冬に、再びホームレスの表現者が立て続けに現れたことになる。

 選者の永田和宏氏によれば、公田氏が活躍したほぼ同時期にもホームレスを名乗る別人から投稿はあったが、掲載する水準には及ばず、今回のふたりもまだ、驚異的なペースで入選し続けた公田氏ほどの詠み手とは言えないという。

 冷めきってしまった人々の困窮者への視線に、温かみを取り戻す。新たなホームレス歌人たちが苦しい生活の中、表現上の精進を重ねていくことで、その流れを創り出していくことを願わずにはいられない。

 なお、宇堂さん、坪内さんがもし、筆者との面談に応じていただけるなら、週刊朝日編集部への連絡をお待ちしています。

週刊朝日  2014年2月14日号