国民的アニメ「サザエさん」の磯野波平など数多くの人気キャラクターの声を担った声優・永井一郎さんが1月27日、虚血性心疾患のため急逝した。82歳だった。突然の訃報に、多くの声優たちがコメントを出し、ブログやツイッターでも別れを惜しんだ。永井さんは、声優たちを支えて活動するという、お茶の間には見えない顔を持っていたのだ。
永井さんは波平以外にも、多くのなじみ深いキャラクターになっていた。「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣き爺、「宇宙戦艦ヤマト」の佐渡酒造、「YAWARA!」の猪熊滋悟郎、「機動戦士ガンダム」のナレーション……。日本のだれもがどこかで耳にしたことのある、まさに声優界の重鎮だった。
声優の後輩たちに慕われた理由のひとつが、その人柄だ。
「いつもにこやかで、ご一緒すると、おう久しぶり! なんて声をかけてくださって。大先輩なのに腰が低く、親戚のオジサンのように気さくな方でした」
そう話すのは、「ポケットモンスター」や映画「フィフス・エレメント」などで共演した声優・歌手の松本梨香さん(45)だ。
「いつも自然体で演じられる姿に、今日は何が飛び出すかとわくわくしたし、見守られている安心感がありました」
若手が現場で叱られてシュンとしていると、永井さんが場を和ませるなど、気遣いの名人でもあったとか。
そんな永井さんの後について、松本さんはあるデモ行進に参加したことがある。
「20年以上前、自分がまだ駆け出しのころでしたが、プラカードを持って、一緒に銀座を練り歩いたことがあります」
そのころ永井さんは、声優の地位向上のために奔走していたのだ。
今でこそ、アニメ声優は「憧れの職業」になったが、テレビアニメが始まってから20年ほどは、生活もままならない時代が続いていたという。そんな状況を打破しようと立ち上がったのが、永井さんたちだった。
「彼は熱血漢でしたよ!」
一緒に闘ったという、日本俳優連合の専務理事で俳優の池水通洋さん(70)は当時を振り返る。
「1960年代から洋画やアニメの再放送が始まりましたが、放送局と声優が直接仕事をするのでなく、制作会社に発注するようになると、再放送の賃金が声優に払われなくなる事態になったんです」
賃金が払われなくても、会社に干されるのがこわくて、皆意見を言えない。そんななか、70年代に洋画やアニメを中心とした声優の組織が作られ、制作サイドとの闘争が始まった。80年代には永井さんが委員長になり大活躍する。
「永井さんは京大卒のインテリですし、理詰めで議論するから相手もたじたじでしたね」(池水さん)
この闘争の結果、86年に声優が出演するときの時間割増料金や作品の利用目的別料金などのルールが決まった。永井さんが基本的な草稿をつくったものだった。
声優は人間に生命を吹き込むのだから、人間をよくわかっていないといけない――。これが永井さんの口癖だったという。
アニメ文化がここまで普及した裏には、「お父さん」の深い愛があったのだ。
※週刊朝日 2014年2月14日号