コミュニケーションにハンディを抱える障害者らが、犯罪の濡れ衣を着せられるケースがある。これを未然に防ぐべく奮闘する、福祉関係者たちの動きを追った。
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「この人、痴漢です!」
滋賀県在住で知的障害者のサトシさん(仮名・20代)が、電車のなかで見ず知らずの女性にそう訴えられたのは7年前。夕方、福祉施設からの帰り道だった。身に覚えはなかったが、まくしたてる女性に気圧され、次の駅で降り、「この人がお尻を触りました!」と突き出された。駅員はすぐに警察を呼んだ。
警察署での事情聴取にサトシさんは頭が真っ白、ほとんど何も答えられなかった。療育手帳に書かれていた母親に連絡された。母親は動転し、女性に言われた示談金を「それで息子が釈放されるなら」と支払った。帰宅した母親から報告された福祉施設の担当職員は、その2日前の出来事を思い出した。別の福祉施設に通う知的障害者の男性が、同じ路線で、やはり痴漢で訴えられ、示談金を取られていた。この情報は地域にある福祉施設などへファクスで流れていた。
その後、事態は思わぬ展開をたどっていく。実はサトシさんを痴漢で訴えた女性は、近所の顔見知りの60代の男性にも容疑を吹っかけ、その妻に示談金を請求していた。戸惑った妻が大津市社会福祉協議会に相談したのだ。市社協は前述の2件をすでに把握しており、関連を疑って、顧問である土井裕明弁護士を通じて警察に伝えた。捜査の結果、女性は障害者や高齢者に痴漢の濡れ衣を着せてカネを巻き上げる常習者だとわかった。
コミュニケーションでハンディを抱える知的障害者は、誤解を受けやすい面がある。高齢になれば、なおさらだ。障害を配慮されないまま、刑事司法手続きが進み、裁判の結果、刑務所へ。サトシさんも一歩間違えれば服役していた可能性がある。
福祉に携わる人々は、こうしたトラブルに直面した際の対処方法を知っているのか。当時サトシさんを担当した大津市の知的障害児者地域生活支援センター相談員の越野緑さんは危機感を覚えた。
「私たち福祉関係者が『勾留』『送致』などの警察用語や、逮捕以降の刑事手続きの流れを知らなければ、いくら警察署に行っても話にならない。このままでは知的障害者が法の裁きを正しい形で受けられないと感じたのです」
大津市では2002年に市社協職員の山口浩次さんらが「大津高齢者・障がい者の権利擁護研究会」を立ち上げ、悪質商法の被害実態などを学んでいた。サトシさんらのケースが福祉施設間で共有されたのも、こうした地道な活動の成果とも言える。
痴漢騒動の後、研究会に越野さんも加わり、逮捕から裁判までの刑事手続きの流れなどを勉強することにした。メンバーは福祉関係者や弁護士を中心に、大学の教員、知的障害者の親たち、犯罪被害者支援センターや刑務所の職員などを巻き込んで、“顔の見えるネットワーク”を築いていった。
※週刊朝日 2014年1月31日号