片岡:芸養子と言うんですけど、芸養子と本当の養子はぜんぜん違います。本当の養子は戸籍を離れて養子先に結婚して入ったような感じですよね。芸養子といいますのは、芝居の世界だけのお父さんと息子という感じで、籍は入れないんです。

林:勘三郎さんが若い男の子を部屋子にしてお披露目してましたけど、あれとはまた違うんですね。

片岡:僕もスタートは部屋子だったんです。いまの秀太郎の父、十三世片岡仁左衛門の部屋子で入れていただいて、十三世の本名が片岡千代之助という名前で、その「千代」にちなんで初代千代丸という名をいただいたんです。そして昭和56年12月に、京都の顔見世で披露させていただいて、それが9歳のときでした。10年ぐらいたってから十三世が「愛之助を継ぎなさい」と言ってくださって、そのときに「(本当の)養子にならないか」と言われたんです。

林:歌舞伎っていろんな壁がありますよね。襲名もそうですし、大きな役をもらって一つひとつ階段を上がっていくみたいな。それをクリアなさってきたわけで、決して平坦な道でもなかったんじゃないですか。

片岡:どうなんでしょうね。僕はゼロから来た人間でして、セリフもないところから始まったんですけど、なんで僕だけこんなみじめな役をやっているんだろうと思ったことは一回もなかったですね。いただける役で「チクショー」と思ったこともないですし、毎月徐々にお役が上がっていったという感じですね。

週刊朝日  2014年1月3・10日号

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