文筆家の北原みのり氏は本誌連載「ニッポンスッポンポン」の中で、社会の中での「女性の闘い方」について考察する。
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闘い方、について考えさせられる今日この頃。
先日、バルセロナオリンピック女子柔道銀メダリスト溝口紀子さんとお話しした。現在はスポーツ社会学者である溝口さんが書かれた『性と柔(やわら)』(河出書房新社)が、面白い。日本の柔道界がいかにムラ社会化し、いかに自浄能力を失っていったかが柔道史と共に鋭く分析されていた。読み進めるうちに、それは決して柔道界だけに限った話ではないように思えてくるのだ。
女子柔道ナショナルチームの選手たちが、監督の暴力を訴えた事件は記憶に新しい。溝口さんは一貫して彼女たちを支えてきた。女が、弱者が声をあげるには、男のムラ社会はあまりに厚い壁がある。慎重に闘わなければ、つぶされるのは声をあげた者たちだ。
溝口さん自身は選手時代に暴力を振るわれなかったんですか? と伺ったら、「結果出した人間に、組織は手を出さないんです」とキッパリ仰っていた。
闘い方には、二つあるのだ。溝口さんのように、勝ち続け結果を出すか。そうでなければ仲間と連携し理論武装し、弁と腕の立つ先輩の協力者を持つか。
かっこいい~! と胸熱くした翌日、村木厚子さんにインタビューをさせていただいた。村木さんにも「闘い方」を伺った。自分より圧倒的に力の強い存在と対立してきた村木さんの言葉には、何度も開眼させられた。
村木さんのエピソードで私が忘れられないものがある。「セクハラ」という言葉が知られていなかった1990年頃、セクハラの研究会に予算をつけるために動いていた村木さんだが、男性たちは「セクハラ」という言葉自体を受け入れなかったという。そこで村木さんが編み出した言葉が傑作だった。「非伝統的分野への女子労働者の進出にともなうコミュニケーションギャップに関する研究会」。こうして、セクハラ研究に初めて予算がついたのだ。
こうやって、女たちは闘ってきたのだな。柔よく剛を制す。真っ正面から力ずくで闘っても大変な時、私たちはしなやかに、強(したた)かに、冷静に、闘わなくては。
※週刊朝日 2013年12月13日号
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