かつて、横山やすしを取材したこともある芸能レポーターの城下尊之氏は、彼の人柄を証言する。
「やすしさんは誰もが手がつけられない破天荒な人かと思いきや、お笑いの天才でサービス精神も旺盛でした。息子さんも含めて何度かタクシー運転手と揉め事を起こしていますが、一度その件で自宅まで取材に行ったことがあります。一斉に取材しに来た報道陣に対してさんざん怒鳴りちらしていたんですが、各カメラに向かって一言ずつ『朝っぱらからなんや!』『自宅前やで!』とちゃんと引き立つところを作ってくれる(笑)。そして最後に『取材したいならタクシーくらい呼ばんかい!』って、オチまでを付けてくれた。突然押しかけた記者たちに対して瞬時に芸人としての判断を聞かせてネタを作ってくれたんです」
■上岡龍太郎や島田紳助は勝ち組?
横山やすしに限らず、昭和に活躍した芸人たちの中には、表舞台からと遠ざかった晩年を送った人達も多い。例えば80年代の漫才ブームで人気となった太平サブロー・シローは人気絶頂期に吉本から独立するも、業界から干されて仕事がなくなりコンビは解散。サブローは早々と吉本に復帰してピンで活躍する一方、シローは吉本復帰後もコンビでの活動はできずテレビでの仕事も激減し、2012年に病死した。
一方、成功したケースと言えば上岡龍太郎氏だろう。横山ノック・青芝フックと結成した漫画トリオは1960年代に人気を博していが、「吉本の舞台に出続ける」ことを条件に吉本からの独立を許されたという。ノックの参院選当選(1968年)でトリオは解散。上岡龍太郎氏はその後、司会者として関西で大人気となり、東京にも進出。数々の名番組を生んだ。そして“公約”通り2000年に芸能界から引退。以後、マスコミへの露出は皆無となった。
さらに、コンビで明暗を分けたのは紳助竜介の松本竜介だ。コンビ解散後、自己破産などを経て芸能活動が激減。晩年は風俗案内所の店長を務めたこともあった。一方、相方である島田紳助氏は司会業でお笑い界のトップに君臨していたが、2011年に“黒い交際”が原因で引退した。