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「過去最高」と評された、漫才日本一を決める『M-1グランプリ』が注目を集めた。漫才師にあこがれてこの世界に入ったというお笑い芸人のカンニング竹山さんは「相方を失ってから、命がけで続けてきたこと」を振り返った。
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M-1を見ていると、正直うらやましくなりますよね。あれだけの技を見せつけられて、嫉妬している芸人もたくさんいるでしょう。一方で、自分の若かった頃を振り返ると、今の時代に若手じゃなくて良かったなとホッとしました。みんながあんなに熱くなっているし、そこで繰り広げられている漫才はとてつもなく高度だからです。
今の若い人たちの中には、僕が漫才やっていたことを知らない人も多いんですよね。だから「お笑いもやらずに何コメンテーターなんかやってんだ」ってよく言われています(笑)。
僕は漫才が好きで、漫才師になりたくて相方の中島忠幸と上京しました。2人で毎日稽古して考えて、これだと思える形ができて、粗い芸だけれども“漫才師もどき”にはなれたのが2003年でした。自虐とかキレ芸でテレビにも出させてもらって、これからは漫才で地方を回って食っていこうと思っていたときに、病気で相方を失って1人になったわけです。不安だったし、漫才ができないのにバラエティ番組にだけ出ていてもいいのかと悩みました。そのときに、「何か芸を身につけたほうがいい」と誘ってくれたのが放送作家の鈴木おさむさんでした。
そして、おさむさんが構成・演出の単独ライブ「放送禁止」が2008年にスタートしたんですが、当初はチケットが30枚しか売れず、知り合いを呼んで何とか埋めて大赤字ですよ。それから毎年、試行錯誤しながら続けてきて、現在の2時間1人語りのスタイルになり、ありがたいことにチケットが取れないライブになりました。今年は、12月26日から3日間、東京で開催します。まあ、そんなこと知らない人が多いですよね。だから「お笑いもやらずに……」と言われる。