香港に行ったのは25年ぶりくらいでしょうか。
 なつかしいですね。それが初めての海外旅行でした。
 その当時「weekly漫画アクション」編集部で担当をしていた『JUNK・BOY』というマンガがヒットしたので、新展開の取材と慰労をかねて国友やすゆきさんと旅行に出かけたのです。
 初めての海外だったのに、とりあえず旅行代理店に飛行機のチケットとホテルだけを頼みあとは自分たちだけで行動するというプランでした。
 男二人だし、ま、香港だからなんとかなるだろうという気安さでしたが、今思うと、初めてでよく分からなかったから大胆になれたのかもしれません。

 二泊三日とはいえ、いろいろあって着いたのは夜の十時近く。
 ホテル近くのレストランに飛び込み目当ての一つだった上海蟹を食べるだけでその日は終わり、実質観光出来るのは次の日だけでした。
 昼間何をして過ごしたかは殆ど覚えていません。
 どこかで飲茶をしたかな。
 とにかく「うまいもんを食おう」という思いだけで行った旅でした。
 その夜が、本命。鯉魚門で夕食です。
 当時はネットなんかないから、ガイドブックか知人からのアドバイスが貴重な情報源。
 香港通の知人が、「香港に行くならここが美味しい」と薦められた場所です。
 海鮮料理が有名な町で、いけすで選んだ魚をその場で料理してくれるから是非そこに行けと熱く語られました。
 今調べると結構観光名所なようですが、当時はガイドブックもろくに見ずに行った旅。知人から聞いた行き方だけを頼りに向かいました。
 今にして思えばホテルからタクシーで行けばいいものを、何をケチったのか、行ける所まで地下鉄で行ってそこからタクシーに乗ろうという話になりました。駅から遠く歩いてはとても行けない距離でした。
 なにせ初めての海外旅行です。香港の地元の人達が使う地下鉄、それも郊外に向かう電車です。勤め帰りの人々の中に混じる若い日本人二人、随分場違いな気分でした。
 地下鉄の終点でおりタクシーを捕まえようとするが、なかなか来ない。
 あんまりお腹がすいたんでその辺の屋台で売っていた肉の串焼きを買うと、これがとても香草臭くて食べられたもんじゃなかった。繁華街で観光客相手に売ってるものとは全然違う。「ああ、これが地元の味なんだな」と思い、普通の住宅街に観光客が迷い込んだようで、ますます不安になります。
 やっとタクシーが来ました。
「やれやれ、これで飯が食える」と乗り込もうとすると、後ろに並んでいたおばさんが一緒に乗ってくる。
「どういうつもりだ」と聞くと「タクシーが来ないから相乗りしよう。鯉魚門にいきたいんなら私の家の通り道だ」みたいな話だったのです。この辺記憶が曖昧なのですが、僕も国友さんも広東語が使えるわけではないので、おばさんとお互い片言の英語で話し合ったのでしょうか。
 とにかく地元の人間の方が強いのは間違いない。
 タクシーの運転手とおばさんが話すと、車は出発しました。
 土地勘がないので、ほんとに鯉魚門のほうに向かって走っているかどうかはわからない。ただ、自分たちは海辺の海鮮料理屋にいくつもりなのに、どう見ても山の方に行っている。
 やっぱりだまされたのかな。このまま、わけの分からない場所で降ろされたら途方に暮れるなあ。言葉もろくに通じないしなあとどんどん不安になります。
 このまま日本に帰れないと編集長に怒られるなあ。しまったなあ、ケチらずにホテルからタクシー使えばよかったなあ。周りが暗くなるにつれ心もどんどん重くなります。
 きっと顔もこわばっていたでしょうね。
「どこまでいくんだ」と思っていると、突然視界がぱあっと明るくなった。
 山の上に集合住宅が建っている。日本で言う団地みたいな感じでしょうか。面白いのは一階が店や、中には映画館もみたいなものもあったかな。
「ああ、これが香港の普通の人の住んでる所なんだ」と思えた。
 おばさんはそこで降りていった。金も律儀において行きました。
 そのあと、タクシーは山を下りて無事鯉魚門につきました。
 料理がおいしかったかどうかもよく覚えていません。
 ただ、帰りはとっととタクシーでホテルまで帰ったので、やっぱり行きの経験が堪えたんですね。
    
 結婚してからはちょくちょく海外に行っていますが、だいたいパック旅行です。
 あの時の香港のような不安な体験はありません。
 でも、真っ暗な山からぱあっと団地が見えたあの感覚は、たまに思い出します。
 知らない町で人が生きているという実感が忘れられないのでしょうね。