菊池桃子が再婚した。その相手が経済産業省のエリート官僚であることが話題になったが、じつは彼女、ちょくちょく世間を驚かせるクセ(?)がある。なかでも、過去最大のサプライズは88年、ロックバンド「ラ・ムー」を結成したことだろう。
というのも当時、彼女はデビュー5年目で、トップアイドルのひとりだった。85年から87年にかけては、シングルが7作連続でオリコン1位に輝いている。
また、彼女のデビューは雑誌「Momoco」創刊と連動していて、同誌はその後、美少女アイドルの登竜門となった。ここから西村知美、杉浦幸、酒井法子、畠田(羽生)理恵といった面々が登場。「モモコクラブ」(TBS系)というバラエティ番組も作られた。
折しも「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)から生まれたおニャン子クラブがブームを起こしていたが、こちらはその対抗勢力であり、桃子はその象徴的存在でもあったわけだ。
しかも、アイドルとしては優等生っぽさ、歌手としてはささやくような優しいボーカルが持ち味の彼女は、ロックから最も遠いイメージだった。同じ年に本田美奈子もロックバンドを結成したが、そちらはすでにソロでもロック志向を打ち出しており、桃子のような唐突さはなかったのである。
■なぜラ・ムーなのか?
そのためか、ラ・ムーのデビュー曲「愛は心の仕事です」には1枚のチラシが挿入されていた。
「桃子なのにラ・ムーなのはなぜなの?」
と題された、音楽評論家・富澤一誠による解説文だ。といっても、桃子自身のことばが紹介されているわけではなく、彼女のファンはなぜなの?と頭を抱え続けることになる。
いや、ファンでなくとも、この転向には「?」だらけだった。なにせ、バンドの編成もサウンドもパフォーマンスも、当時のロックのイメージからはかけ離れていたからだ。
桃子とともに、ふたりの黒人女性が踊りながら歌い、それをキーボードやドラムス、ギター、ベースがサポート。曲調はR&Bやファンク系だ。今ならこういうロックもありだろうが、宇多田ヒカルが登場する10年以上も前の話である。
さらに、イラストによるジャケットも謎だった。現代的な都市空間に、古代人みたいな4人(男3女1)が空飛ぶ舟に乗って浮かんでいる。ラ・ムーの由来は空想上の大陸・ムー大陸の王の名だから、そこからの発想だろうか。ちなみに「Momoco」を出していた学研はオカルト雑誌「ムー」の版元でもある。