若手漫才師が「M-1グランプリ」にかける思いは恋愛に似ている。しかも、そのほぼすべてが一方通行の熱烈な片思いだ。「M-1」は毎年数千組の芸人が参加するお笑い界最大のビッグイベントだ。その中から激戦を勝ち抜いて決勝の晴れ舞台に進めるのはわずか10組以下で、優勝できるのはたった1組しかいない。毎年毎年、膨大な数の敗者を生み出し、彼らに絶望をもたらす。「M-1」とは、日本一注目度の高いお笑いコンテストであると同時に、日本一残酷なお笑いコンテストでもあるのだ。
そんな「M-1」について書かれた本が話題になっている。8月14日に発売された『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書)である。著者はナイツの塙宣之だ。ナイツと言えば、「M-1」では2008年から2010年まで3年連続で決勝進出を果たした漫才のスペシャリストだ。塙は、昨年末の「M-1」で審査員も務めている。まさに「M-1の申し子」と言ってもいい人物である。
若手の頃に漫才協会に所属して、浅草の寄席を中心に活動してきた彼らは、いまや幅広い世代に支持を受ける人気漫才師である。その実力を疑う者はいないだろう。
ところが、そんな塙ですら、「M-1」に対しては複雑な思いがあるという。本書のプロローグで彼はこう書いている。
<M-1は僕にとってトラウマ以外の何物でもありません。M-1決勝で計四本、ネタを披露したのですが、一度も「ウケた」という感触がなかったからです。
どうしたらウケるかだけを考え続けてきた僕にとって、これは全否定に等しい結果でした。予選ではどっかんどっかんウケていたのですが……。
いずれの大会動画も未だに観たことがありません。僕の人生における最大の恥部だけに、恥ずかしくて、怖くて観ることができないのです。
(塙宣之著『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』集英社新書)>
これが「M-1」の恐ろしさだ。塙が本のタイトルを「言い訳」としているのも「優勝できなかった自分が何を語っても言い訳に過ぎない」という思いがあるからだ。バラエティではいつも飄々としたとぼけたキャラクターに見える彼も、勝者になれなかった「M-1片思い芸人」の1人でしかないのである。「M-1」には銀メダルや銅メダルは存在しない。優勝者以外はこうやって苦い思い出を作り、それを一生引きずっていくことになる。それが「M-1」の恐ろしさである。