もちろん、それも当たっているだろうが、もうひとつ、自身の肉体への美意識が研ぎ澄まされたことで「頽廃」寄りになり、妖しい魅力が復活したということも大きいのではないか。ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」で演じた、娘の愛を独占したいがために、その恋人を誘惑までする毒親は鬼気迫るものがあった。そんな女優としてのスケールアップの延長線上に「不倫」が待ち受けていたのも、彼女の場合は当然というか、不可避的なことだったのだ。
彼女は一種の「神」女優?
それでも、冒頭で述べたように、ファンや業界、世間は意外と優しかった。斉藤由貴という人間をかれこれ30年以上見てきたことで、そういう人だと学んだ結果だろう。もっといえば、女優とは案外そういうものだし、それで構わないのではないかということに彼女は改めて気づかせてくれたともいえる。ほとんどの芸能人が市民的な常識感覚を求められるようになるなかで、ちょっとズレていても許される彼女は一種の「神」女優なのかもしれない。
何より彼女がよいと思えるのは、悪気を感じさせないところだ。不倫騒動についても、本人は大真面目なので、罪悪感を引きずっているように見えない。そういえば、95年秋の取材の際、当時執筆活動にも力を入れていた彼女はこんなことを言っていた。
「この仕事って、自分を切り売りするようなものでしょ。人生を語るなんて、恥ずかしいことだし。それでも、世の中の人すべてが自分という人間を探して生きている中で、私には自分を表現しながら、濃縮した瞬間を得ることができる。(略)それが幸せだと思うから、この仕事やっててよかった、と」
芸能人として生きる限り、ときとして恥ずかしい自分もさらけださなくてはならない。その覚悟と引き換えに素晴らしい瞬間を得られるのだから自分は幸せだという、自己肯定感。斉藤由貴の打たれ強さはそこから生まれるのだろう。