「単純にいっちゃえば、少し退廃的なところが、好きです。感覚にあってるんです。萩原朔太郎さんとかコクトーにも共感するところがありますし、とにかく絵的に綺麗なものってすごい好きなんです」(「よい子の歌謡曲」)
とはいえ、それらは「自分とはかけ離れた、鑑賞の世界」だとして、クリスチャン(モルモン教徒)らしい、健全さや潔癖さへの志向も語っていた。それゆえ、アイドルとしての仕事のなかには気の進まないものもあり、特に歌手デビュー2日後に司会を務めた「オールナイトフジ女子高生スペシャル」はやりたくなかったという。「夕やけニャンニャン」のパイロット版的特番だ。十年後の95年秋にインタビューしたとき、彼女はこう振り返った。
「あのときは、けっこう荒れましたもん(笑)こんなことしたくない!って。当時『女子大生』とか『女子高生』って言葉はフェティッシュな色合いが濃かったでしょ。性的な感じで、その一端に加えられるのが、単純に、生理的に受けつけなかったんですね」(「宝島30」)
「恋多き魔性の女」として注目を浴びる
ただし、この発言の時点で彼女は二度の不倫(妻子ある男性との恋愛)を経験していた。性的な扱われ方をあれほど嫌がっていた少女は皮肉にも「恋多き魔性の女」として世間の注目を浴びるようになっていたのだ。
が、驚くにはあたらない。頽廃と健全、彼女はその両極端なものに惹かれるのだから仕方のないことだった。それに本人にとっては、不倫といっても大真面目なものだ。故・尾崎豊とのとき(91年)には「同志みたいな感じなんです」川崎麻世とのとき(93年)には「傷をなめ合う仲」だと、それぞれ自分の口で説明もした。その表現からは、心のふれあいを強く欲していたことがうかがえる。
また、尾崎には覚醒剤での逮捕歴があり、不倫発覚と破局の翌年、26歳で急死して伝説の人となる。川崎については、カイヤ夫人の鬼嫁ぶりのほうが話題を集めた。相手やその妻の印象が強烈で、斉藤の存在がかすんだ感もある。そして、川崎との騒動渦中に発したこんな言葉も、正直でにくめないものだった。