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関東では、毎朝どこかのテレビ局の天気予報のバックに流れるのが江の島とそれに続く海岸線の映像だ。夏ともなればそれは昼間の情報番組の合間にも流れてくるほどポピュラーなものとなる。関東の海といえば「江の島」が最も代表的なものなのかもしれない。
●縄文時代から人が暮らした土地
江の島とは、神奈川県藤沢市にある今は陸続きとなった1周4キロほどの島である。昔は引き潮の時だけ渡ることのできる道が現れていたが、大正12(1923)年の関東大震災で島が隆起し、今は満ち潮時のみ地続きの砂州は冠水するが、すでにしっかりとしたコンクリート製の橋が渡されているので干潮差を意識することはほぼない。
だが、島の歴史は古く、紀元前の縄文時代に人が住んでいたという痕跡が発掘されているし、役小角(えんのおずの)や空海などがこの島に籠り修行の場として選んでいる。
●富士山とつながる洞穴?
江の島が聖地と考えられていた理由はいくつかあるが、最も有名な話は現在「岩屋」と呼ばれている海食洞窟の最奥の洞穴が富士山の風穴へと続いているという伝説だ。吾妻鏡には源頼家が富士の樹海で狩りをした際、臣下・仁田忠常に風穴探索をさせたという記録があり、この史実を元に忠常が江の島まで到達したという物語が江戸時代に生まれたのである。洞穴がつながっているかどうかは不明だが、洞穴の奥からは夏でもヒンヤリとした風が吹いてくるのは事実である。
実は江島神社の弁天さまが祭られていたのは、この場所なのである。
●信仰の発祥の地は再奥の岩屋
「江島神社」の起源は西暦552年にまでさかのぼれる。江戸時代まではお寺であり、空海が開いた岩屋本宮、円仁が弁天を祭り開いた上之宮、文覚が源頼朝の命を受け下之宮に弁天を祭り、江の島には3坊のお寺が存在していたのだ。やがて明治維新を迎え、神仏混淆(こんこう)の弁天さまの祭神は宗像大社の3女神となり、それぞれの神さまが奥津宮、中津宮、辺津宮へ祭られることとなった。