個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は「無駄」について。
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当コラムを読んで頂いてる方々や、「AERA dot .」編集部の方々、担当K氏に本当に申し訳ないのだが、実はこのコラム、僕は、僕のために書いている。書くことによって、「自分の考えを整理する」「思いを発見する」ためだ。
いつも、結論や起承転結などは一切考えず、闇雲に書いている。それはもう、大変に闇雲だ。ミスター闇雲だ。「闇雲ジロー」と改名してもいいと思っている。ほうら、何も考えてないでしょ。
ただ、この、闇雲に書いてるうちに、大体いつも中盤辺りから、自分の考えが整理されていくような感覚になる。たまに終盤辺りでようやく整理されることもある。なかには書き終わっても全然整理されないこともある。ダメじゃないか、闇雲ジロー。ただまあ、整理されたらいい文って訳でもないかもしれんから別にいっか。はははははははははははははははははははははははははははは。別に「は」の数で文字数を稼ごうとは思っていない。いや多少は思っている。なんなら少し前に戻って「は」を4文字ほど追加した。なんの話だっけコレ。ヤバイ、ホント何も考えてないわ俺。
このままでは担当K氏の雷が落ちるので、今回は「無駄」について考えを整理してみたい。言っちゃあ何だが、子どもの頃から自分は「要領がいい」と思っていた。夏休みの宿題は夏休みに入る前には片づいていた。しかし20代の頃から、やることなすこと、無駄ばかりになった。
当時、役者で食えるか分からず、「手に職を」と、行政書士の試験を2回受け、2回落ちた。この2年の間、バイトの時間以外はほとんど勉強に費やしたにも関わらず。さらなる無駄は、行政書士のあとに受けようと購入した、社会保険労務士の通信教育の教材。まったく手つかずのまま、というか一度も開いてさえいない。通信教育といえば、コピーライターの通信教育もかじったことも告白せねばなるまい。ホントなにやってたんだろ、20代の頃の俺。いずれの経験も、現在の僕の職に役に立っているかといえば、正直「ノー」と言わざるをえない。