京浜急行の駅で言えば「神奈川新町」を下車したあたりに「浦島町」「亀住町」という地名がある。このあたりでは道路と歩道を分けるポールの頭にも亀の甲羅があしらわれている。一番大きな公園は「浦島公園」で、夏のお祭りには浦島太郎の山車が出る土地柄だ。
この地に伝わる浦島伝説は「3年間龍宮城で暮らした太郎が帰ってきたのは300年後で、父母も亡くなり悲しみの中で父母の墓を見つけ、その傍らに乙姫からもらった観音像を祭り、父母を供養、迎えにきた乙姫と龍宮城へ戻った」というものである。
これに従い、うらしま寺という別名を持つ「慶運寺」には観音堂が残り、父母の墓を探し歩いた太郎が足を洗ったと言われる「足洗いの井戸」「足洗いの川」(そばに碑が立つ)、浦島親子の供養塔の残る「蓮法寺」、元々父母のお墓のあったお寺・観福寺にあったお地蔵さま「浦島地蔵」など、浦島太郎の史跡が数多く残っている。また、土地の人が知ってか知らずか、学校の校庭や公園には亀のモチーフとなる遊具がいくつも見つけられるのだ。
浦島太郎の話は日本書紀など古代の文献にも登場しているが、現在われわれがよく知る話は小学校の教科書版のもので、同時に唱歌も作られた(「むかしむかし浦島は 助けた亀に連れられて~」である)。
実は中国南部の「洞庭湖の竜女」という話が浦島太郎話によく似ていて、これがルーツにあるのではないかと唱えている学者もいる。なるほど、それならば「良い人→不幸な結末」となるのもよくわかる。善行を奨励しない風潮は現代まで続いている国是ともいえる国の説話らしい。そうしてみると、横浜の「親を供養して再び乙姫さまと幸せに暮らしましたとさ」という話は、とても日本的で心情的に落ち着く結末といえよう。私としてはこちらの話を是非推奨して終わりにしたい。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)