大川 社員は現状を変えるべきことを頭では分かっている。ただ、ある程度の立場になると、それを実行できなくなってしまう。だから、そういう人たちが、「わるだ組」の活動を「いいぞ、もっとやれ」と背中を押してくれた。しばらくしてからは、広報も応援してくれるようになった。結局、日本全体にそういう流れがあるからこそ大企業の有志が集まる「ONE JAPAN(ワンジャパン)」につながっていったのだと思います。

松本 大川さんのようにわるだ組やONE JAPANの活動をしていることで、本業で上手くいかないときなど、ある種救われることがあるはずです。

大川 有志活動は自分の想いを達成するプラスαの部分だからこそ、仕事をきちんとやり切り、発言権を持てるところまで信頼を蓄積していかなければならない。一方で、自分のミッションが明確にあるならば、それを達成するために本業の仕事に没頭できるのはすごく幸せなことだとも思います。高度経済成長期の働き方は羨ましいですよ。

松本 本業の仕事だけに没頭するのも、善し悪しだと思います。当時の人たちは、家庭は奥さんに任せて、趣味は何もなく、仕事以外に友達がいるわけでもなかった。定年退職で仕事がなくなったら、何が残りますかという人たちが多い。おそらく、日本で最も仕事が面白かった世代だとは思いますが、その後の長い人生で自分を見つけられてない人がたくさんいるんです。

大川 同じ状態に僕ら世代が陥らないためにはどうしたらいいでしょうか?

松本 可能性を自分の中にたくさん作っておくことが重要です。おじさんたちは、それをすべて自分で摘んで来てしまったから、今苦しいんですよ。でも、プライドはある。一生懸命仕事をやってきて、楽しかったという、いい思い出もある。そこから未だに抜け出せなかったりもするので、やっぱり半分は会社と違う意識みたいなものを持って生きていかないとつまらないですよ。

私自身、48歳で独立するまで、ずっと広報の仕事をやっていたので、社外に人との関わりがあったり、楽しいことがあったりして、そのことに救われてきました。ですから大川さんたちが本業以外にやっていることは正しいと思いますよ。当たり前ですが、年は必ず取ります。大川さんも30年経ったら、会社勤めをしていないかもしれないし、今までやってきたことから違う方向に行きたくなるかもしれません。

大川 松本さんは定年前の50代の仲間づくりや仕事づくりを支援していますが、これは他人事ではないなと最近はよく思います。というのも、ついこの前僕も38歳になって、40代まであと2年しかない。このままボンヤリと40歳になったら、定年までいくんじゃないかという恐怖感を少し持っています。

松本 分かります。本当は自分らしい仕事がしたいけれど、40代頃から管理職になるので、部下に仕事を任せてマネジメントに回らなければならない。家庭を持ってもいるし、ここで自分に何ができるのだろうというのも思いつかない。だから仕方がなく、その部分は努めて何も考えずに生きてしまい、定年を迎えるというおじさんはとても多いです。仕事とプライベート、両方で幸せになるなんて難しいかもしれないけれども、どういう価値基準のうえで働き方を選んでいくというのは考えないといけないでしょうね。

大川 個人のミッションを考え続けるのはすごく大事だと思いますが、僕もなかなか定まらないんです。もう、不惑の40になろうとしているのに。惑ったままで先に行けない。

松本 自分のことを考え続けることはムダではなく、その後のより良い働き方につながっていくと思います。それに、焦ることはありません。私がこの10月から始めた「東京セカンドキャリア塾」にしても参加者の平均年齢は68歳くらい。彼らおじさんにしてもいまだに惑っていますから(笑)。

◯大川陽介(おおかわ・ようすけ)
大企業若手50社1200人の有志メンバーが参加する「ONE JAPAN」共同発起人。中小企業診断士。1980年千葉県生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科機械工学専攻を修了。2005年富士ゼロックス入社。SE、営業、商品開発本部などを経て、現在人事部。12年4月社内有志ゆるネットワーク「秘密結社わるだ組」を立ち上げ。

◯松本すみ子(まつもと・すみこ)
シニアライフアドバイザー。有限会社アリア代表取締役。NPO法人シニアわーくすRyoma21理事長。産業カウンセラー。キャリアコンサルタント。1950年宮城県出身。早稲田大学第一文学部東洋史学科卒業後、20数年間IT企業で広報、販促、マーケティングを担当。2000年より起業し、シニア世代にライフスタイルの提案や情報提供などを開始。

(構成/小倉宏弥)

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