2004年、教育困難校だった都立水元高校に校長として着任し、3年間で中退率を激減させた栗原卯田子先生。その後、中高一貫校になったばかりの都立小石川中等教育学校、そして私立の伝統校である成城中学校・高等学校の校長を歴任。学校は違っても、生徒をよく観察し、生徒の意見に耳を傾けながら自分の考えをはっきりと述べる”卯田子流”で、数々の難題と向き合ってきた。2021年に退職し教師という重責から離れたが、栗原先生はやはり「先生」と呼ぶのが一番ふさわしい。連載第1回「校長就任1年で「中退率」半減 評判“最悪”だった都立高校をよみがえらせた名物校長の3年間」に続く第2回は、名門都立高校から中等教育学校へ、移行期の「小石川中等教育学校編」。

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 東京都には現在11の公立中高一貫校がある。なかでも都立の旧第4学区トップ校だった小石川高校を母体として生まれた小石川中等教育学校は、自由な校風で知られる名門校だ。栗原先生は、中高一貫校化2年目にあたる2007年、校長として赴任した。中等教育学校とともに、移行期として、高校から入学した生徒たちが所属する小石川高校と小石川高校定時制課程、あわせて3つの校長を掛け持ちすることになった。小石川高校では、女性として初めての校長だった。

「東京都で最初の中等教育学校を完成させるというのが最大ミッションでした。中等教育学校を開校した時点でカリキュラムやPTAの位置づけなど、青写真ができているだろうと思って赴任したのですが、そうではなかった。まず中学3年間の前期課程を完成させ、それから後期課程を作って一貫校にしていかなければならない。これは長くかかるなと思いました」

 6年一貫校にするにあたっていちばん犠牲になったのが、「定時制高校の生徒たちだった」と栗原先生は振り返る。定時制の給食室が中等教育学校の給食施設になったため、生徒たちは以前通っていた小石川高校から電車と徒歩で45分かかる一橋高校に通っていた(その後、2008年3月に閉課程)。

「身分としては小石川高校の定時制生徒ですが、自分の学校を出されてよその学校に行かされたわけですから、生徒にとっては過酷な経験でした」

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柿崎明子
ライター 柿崎明子
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