もし、妻と娘たちが「父の日」を祝ってくれない、「何ももらえず、感謝の言葉もない」のなら、それは、相談者さん自身がそうしてもらえない状況を作り出しているのです。

 そもそも「休日にゴロゴロしないし、酒もギャンブルもやらずに、毎日遅くまで妻と娘たちを養うために働いている」なんて言って、自分を自分で慰めるなんて、恥ずかしいと思いませんか?

 もしかして会社でも、自分の仕事を「報われない」「(だれも自分のことを構ってくれなくて)寂しい」と思っているのではありませんか? 暗い心を持っている相談者さんのような人のところには、誰も集まりはしません。

「報われない」「寂しい」「心の持ちようを教えてほしい」と、孔子に相談したら、きっと孔子は、相談者さんのことを「朽ちたる木は雕(ほ)るべからざるなり。糞土の牆(かき)は、ぬるべからざるなり」(公冶長第五)と言ってあざ笑うでしょう。「ぼろぼろになった木に彫刻はできない。悪い壁土で作った垣根は、どう塗りなおしても手に負えない」という意味で、厳しい言い方ですが、要するに「素質の悪い人間には叱ってもしょうがない」ということです。

「朽ちたる木、糞土の牆」と、孔子からなじられたのは、宰予(さいよ)という弟子でした。弁が立つ宰予は、立派なことばかり言うくせに、実際の行いがなっていないと、孔子に叱られたのです。孔子は、言葉と行いと思いが一致していることを「信」という言葉で表現し、弟子たちに教えていました。

 翻って相談者さんはどうでしょうか? 家族を養うために働くことは立派ですが、その行いと自分の思いが食い違っていて、「自分は一生懸命がんばっているのに、評価してもらえない」などと嘆いていては、充実した幸せなど、いつになっても実現させることはできないでしょう。

 では、どうすれば、「寂しい」などと思わずに、家族のみんなに、「父の日」を祝ってもらい、感謝の言葉をみんなからもらえるようになるのでしょうか。それには、毎日の積み重ねが必要です。

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