――仕事との両立はどのようにされていたのでしょうか?
私はフリーランスで在宅ワーク中心ですが、だからって何でもできるわけではありません。「不登校でも親が在宅だからいいよね」と言われることもよくあります。でも学校に行かなくなってから仕事を減らしたので収入が減ったり、一度断ったことで二度と依頼が来なくなった案件もあったりします。昼間は子どもと向き合い、夜中に仕事をしていた時期もありました。不登校は命にも関わる問題なので、働き方を見直したり腹をくくるしかなかったりする面はありました。試行錯誤を経て、今はわが家にとって親子で無理のないちょうどいい形に落ち着いてきています。
――中学校への進学についてはどのように考えられたのでしょうか?
地元の公立中に進みました。本人に「行かなきゃいけない」とプレッシャーを与えたくないので、水面下で準備をしてきました。不登校の先輩に話を聞いたり、教育支援センターに相談に行ったりと、あらゆる方面から情報を集めています。塾の先生も「合わなかったら、ここで勉強すればいい」と言ってくれていて、こういう“学校外の味方”を持っておくことが、本人の安心材料になるのではないかと思っています。
――行き渋りや不登校で悩む親御さんに、メッセージをお願いします。
七転八倒の不登校経験を経て、私たちの人生はぐっと豊かになりました。わが子をほかの子と比べることの無意味さに気づき、毎日を私たちらしく生きることの楽しさを知りました。私は「みんなと違うもっちん」が大好き。だから、「私もみんなと違う親」になります。それで誰かに「ダメな親だ」と言われたって、私はそれでいい。「甘やかしすぎ」「将来どうするの?」――そんな声に傷ついたこともあるけど、同時にその傷を癒やしてくれるのも人でした。だから、頼ってください。失敗して転がりながら、自分が脱ぎたい“鎧”を一つずつ脱いでいけば、いつか景色が変わるはずです。
(取材・文/高橋亜矢子)
※前編〈付き添い登校の末、うつ病になった漫画家が語る”息子の不登校” 「“不登校になれない”時期が一番つらかった」〉から続く