入学後すぐのスポーツトレーナーに関する授業の1回目で、先生が「これがスポーツトレーナーの現場です」って、大ケガをした選手たちが映し出されたハイライト動画を見せてくれたんです。アメフトでひざが逆に曲がってしまった選手とか、ラクロスで骨が折れて血が流れている選手とか。その生々しさに衝撃を受けて、「うわっ、厳しいかも……」って思っちゃいました。生半可な気持ちでできる仕事ではないなと。ちょうどそのころ、バスケ部でもケガをしてしまいました。

――大学でもバスケ部に入ったんですね。

 はい。でもほかの部員はスポーツ推薦で入学し、背が高く、足も速いなか、僕だけ受験太りでぽっちゃりしていて。そんな状況で、ケガ。半年くらいはバスケができないと言われて、マネジャーになる話も出ましたが、それは僕がやりたいことではないなと。せっかく東京に出てきて、いろいろなことができる環境だし、バスケを辞めてみようって思ったんです。一大決心でした。

――そこからお笑いの世界に足を踏み出すのですね。

 高校の同級生が一浪して早稲田に入ってきて、バスケを辞めたと話したら「お笑いやろうよ」って誘ってくれました。お笑いの養成所に入るには、まずお金を貯めないといけないけど、それだと時間がかかってしまう。いろいろ調べたら芸人養成所のワタナベコメディスクール(WCS)が開催している大学生向けのお笑い大会で優勝すれば、特待生で通えることがわかったんです。2回チャレンジして優勝して、入りました。

 短期間で目的を実現するために作戦を立てる、というのは受験で学んだことかもしれないですね。養成所に1年通って「お笑いをやる」と決め、大学4年になるときに親に「大学辞めます」と言いました。父に反対され「卒業さえすれば、そこからはお前が選ぶ人生だから」と言われ、結局2回留年して卒業しました。

――レギュラー出演されている『新しいカギ』では、高校生と接する企画も多いですね。

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