よしおが実践しているのは、相手に対して嫌な部分が見えたとき、「じゃあどうしてこの人はこんなことを言うんだろう? どうしてこんなことをするんだろう?」って想像すること。勝手に相手のストーリーをつくって心を落ち着かせているんだ。たとえば、電車から降りようとした時にドアの前にいるのにみんなの道を塞ぐような人を見た時は「この人は考え事があって集中して周りが見えてないのかも」とか「動こうとは思っていたけどうまくタイミングが取れなかったんだ」とかね。

 そういう想像力を働かせるためには、世界にはいろんな人がいるってことも知っておくことが大事だと思う。やっぱり子どものころって、自分基準が大きかったな、って気がするんだ。自分と違うやり方をしている人に対して「どうして?」って思ったり、強い態度に出てしまったり。だから、一人ひとりがみんな違うということをトマトピーヤには知ってほしい。そしてこの記事を読んでくれている大人にも、改めて考えてほしい!

嫌いと嫌を分けて考えよう!

 静岡の居酒屋のトイレだったかな。「日本人は失敗しないように教育するけど、インド人はどうやって許すかを教育する」みたいなことが書いた紙が貼ってあった。インドでは失敗することが前提にあるのかなあ。対して今の日本は、少し失敗することに臆病になっている気がするんだ。失敗しないように、失敗しないように、って。この言葉がすごく心に刺さったんだよね。

 トマトピーヤのお悩みと照らし合わせて考えると、嫌なことばっかりに目がいっても、そこを寛容することが大事なのかな、って。でもトマトピーヤはそれができているから悩んでいるのかな。嫌いではないけど嫌だな、って思っちゃう、みたいな。もしそうだとしても、それは仕方ないことだと思うし、嫌いと嫌が区別できている時点ですごいことだから、大丈夫だって思ってほしい。

 SNSが発達して、いろんな意見が偏りすぎるようになっちゃったんじゃないかな、ってよしおは思う。嫌なところがある=嫌い、になりすぎている気がする。たとえば、応援していたアイドルが何か失敗をしたとき(失敗の度合いにもよるかもしれないけど)、それだけでファンやめました、みたいな。それはちょっと息苦しいよな、って思う。「嫌いへのスピード速すぎない?」って。

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