茂山 最初の段階での丁寧さがないから、たとえば「朝廷」の「廷」をいつまでたっても「延」と書いて、それは社会科での失点にもつながる。でも、そのこと自体になかなか気づけないんですね。
本人や保護者の方が「国語が苦手かもしれない」と思い始めるのは小学4年の頃。漢字の練習は小学1年から始めるはずですが、丁寧さに欠ける学習を続けてしまい、とり返しがつかないケースをいくつも目にしてきました。
山﨑 英単語は英単語帳などを使い必死に覚えるというのに、漢字はないがしろにしてしまいがちですよね。文脈から類推することもできないから、虫食い状態で文章を読むことになる。
ある日突然「国語が伸びる子」、その要因とは?
――先ほど、「ある日突然できるようになる科目でもある」という言葉がありました。国語が急に伸びる要因として、どんなことが考えられますか。
茂山 前提として、中学受験の国語で扱う物語や論説文の題材自体が学年レベルに対して難しい、という側面は正直あると思っています。とくに国語を苦手としてきた生徒は、本人の語彙レベルと目の前の文章レベルに大きなギャップがある状態でずっと進んできたわけですが、語彙を増やし、育てていく過程でそのギャップが少しずつ埋まっていくこともある。そのギャップがほとんどなくなった状態こそ、伸びる瞬間なのだと思います。
先ほど山﨑さんがおっしゃっていたように、虫食い状態でしか読めていなかった状態から穴が少なくなり、理解が深まるときがやってくる。それは語彙を鍛えるなどのトレーニングによって、ある程度早められることでもありますね。
山﨑 加えて言うと、語彙だけでなく「背景知識」が育つことにより、内容への理解が深まるようになるんですよね。
国語はいわゆる“分野”が「ないと思われている」こともあり、「国語の授業ではいったい何を教えているのだろう」と思われがちです。でも、実は色々なことを教えていて。文章の背景にある文化のこと、社会のこと、哲学のこと。個人的には、とくに難関校で出題される哲学に関する論説文の難易度が高すぎると感じることもあるのですが、そうやって蓄えていった知識が無駄になることはなく、大学入試で生かされることもあると思います。国語は一度できるようになれば、“一生もの”の科目でもあると思っています。
(聞き手・構成/古谷ゆう子)