そこから、自分が行ってきた授業を思い返し、「雑談をして生徒の関心を引こうとした時間が無駄だったのではないか」「既存の教材をそのまま使った自分の判断が間違っていたのではないか」と、なにをしていてもそのことしか考えられなくなった。
灘校生だった頃、僕は仲間たちと新聞を読みながら、「いまの法律はここがダメだね」「立法府はちゃんと仕事をしていないな」なんて、毎日偉そうに話していたんです。そんな日々も脳裏によみがえり、「目の前の子どもたちの4人中3人を泣かしたやつが、なにを偉そうに言っていたんだ、恥を知れ」と。悔しさや情けなさといった感情が全部押し寄せてきて、堪えきれなくなり、塾の非常階段で泣いたこともありました。
「塾生全員、第1志望合格」は、まだ達成できていない
――その悔しさをどう次へつなげていったのですか。
山﨑 翌年は「桜蔭コース」の教材だけでも自ら作ってやると、大学でノートパソコンを開き、日々過去問研究をしました。その年は、8人が桜蔭中学を受け6人が合格。でも、全員ではなかったんですね。
合格できなかった子にもう一度受験させ、合格を手にさせてあげることができないのが中学受験です。「何がダメだったのか」「どうすれば良かったのだろう」と考え続け、その悔しさを少しでも翌年に活かしていくしかない仕事であり、それこそが自分のレゾンデートル(存在意義)なんだ、と思うようになり、それが原動力になっているのかもしれません。
いまは学園長として、「希学園生全員、第1志望に合格するぞ」と毎年子どもたちと叫んでいるわけですが、一度たりとも達成できてはいない。それが達成できた日が、自分が塾講師をやめる日なのかな、と。そう思いながら、気づけば20年近くが経っていました。
茂山 おっしゃる通り、僕も全員を第1志望校に合格させることはできていないんです。次第に、生徒一人ひとりを見ながら、それぞれが手に届きそうな範囲で第1志望を決めていく、という考えになっていきました。目標としては、生徒が最初に「行きたい」と言った学校に合格させたい、という気持ちはいまももちろんありますけれどね。
次のページへ頑張ってみることに、絶対に意味がある