山﨑 「楽しい」って言わなかったんですね。

茂山 そうですね。加えて、彼女のノートを見たときに「あ、これは塾の先生がちゃんと見ているわけではないんだな」と感じました。僕が通っていたのは、質問に行けば先生が何時まででも教えてくれるような塾だったので、僕のなかの“塾”の観念が崩れていったんです。

山﨑 授業時間が終われば、そこでさようなら、みたいな塾だったんですね。

茂山 それが信じられなくて。その頃、僕は個別指導塾でアルバイトを始めたのですが、そこに通ってくる子は大手塾に通いながらプラスして個別指導塾にも通っていた。僕としては、もう訳がわからない。それがスタンダードになりつつある、と言われても理解が追いつかなかったんです。実家は事業をしていたのですが、母からは「社会人経験は積んだほうがいい」と言われていて、でも僕としては興味のない分野の会社に就職する気はなかった。だったら自分で商売をしてみたい、と。

 具体的になにをするか、と考えたときに、自分が過ごした塾はもうなくなってしまったけれど、ああいう環境を自分も作ってみたい、と思うようになりました。手を広げすぎなければ、すべて講師の目が届く範囲で行うことも、理論上は可能だと思ったんです。

自身の中学受験の経験が「将来の道」を決めるきっかけに

山﨑 自分の中学受験体験がモデルケースになっている、という点で僕らは非常に似ていますね。僕が通っていた希学園も、夜中まで先生が付き合ってくれて、居残りの時間すら楽しかった。そうした“空気”を残したいという気持ちもあり、希学園に入社したのですが、茂山さんは自分が過ごした塾がなくなってしまったから、同じような環境をつくろう、と自ら立ち上げたんですね。

――駆け出しの塾講師として、印象に残っていることはありますか。

山﨑 先ほどお話しした「桜蔭コース」の子どもたちの合否ですが、蓋を開けてみたら合格したのは、4人中1人だけ。もう、言葉では言い表せない悔しさが腹の底から湧き上がってきたことを覚えています。

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