ちょっとした冒険は手出しせず見守る

――口出しをしない……簡単そうで、案外難しいことですよね。

 指導者と子どもの相性を見極めるとか、あいさつや練習道具の後片付けの仕方を教えるのは親の役割だと思いますが、それ以外はすべて指導者にお任せする方がいいと思います。私の両親も、水泳に関しては一切口を出しませんでした。

 親の関わり方、という意味では、日常生活の中で子どもが「ちょっと危ないな」という状況になっても、驚いたり大袈裟に心配したりしない心構えを持つことも大切だと思います。横にいる大人がびっくりすると、子どもはそれがすごくいけないことや恐ろしいことだと感じてしまい、結果としてチャレンジの機会を狭めてしまうんじゃないかな、と。

 私が水泳を始めたきっかけは、小学校2年生のときに海で溺れかけたことですが、そのときそばにいた父は、特に慌てることもなくのんびりと私を助けてくれました。当時はそんな父の態度を不満に感じましたが、もし、あのとき父が慌てふためいていたら、私の中には恐怖心が残り、水泳を始めることはなかったかもしれません。大きなケガはしないよう注意しつつ、子どものちょっとした“冒険”には余計な手出しをせず見守ることも、時には必要だと感じますね。

他人を「認められる人」とは?

――息子さんに対して「こんな子に育ってほしい」という願いはありますか?

 自分以外の人を「認められる人」になってほしいと思っています。「認める」というのは、多様性を受け入れることであり、他人のいいところを素直にほめたたえられるということでもあります。いずれにしても、人を認めるという行為は、周りに振り回されない自分なりの価値観や信念があってこそできることだと思うんです。

 もちろん「人を認めなさい」と直接的な言葉で息子に伝えることはありませんが、例えばお年寄りを助けたとか、芸術やスポーツで活躍している人の話題がニュースなどで取り上げられたら「こんなことができるなんて、すごいね!」と話しながら、息子と一緒に見るようにしています。

 幸い息子には私の思いが伝わっているようで、以前出場した柔道の大会で同じクラブの友だちが優勝したときは、誰よりも大きなガッツポーズで喜んでいました。彼自身は1回戦で負けてしまったのに、そういうふうに相手の活躍を喜べる人に育ってくれたことがうれしかったですし、親が言うのもなんですが、素敵だなと思いました。

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