子どもの「疑問」をすごく大切にしてくれました。ちょっとしたことでも、なにかわからないことは「自分で調べなさい」とか「わからない」なんて流さずに、一緒に考えてくれたり、一緒に調べてくれたり。子どもの疑問に、寄り添ってくれましたね。

 両親には「子どもの興味関心を大切にしよう」というポリシーがあったのだと思います。図鑑を買ってくれるなど、好きなことはけっこう自由にやらせてくれました。その半面、ゲーム類は厳しかったですね(笑)。当時カードゲームがはやっていたのですが、うちはなかなか買ってもらえなくて。友達と勝負をしても全然勝てない、なんてことはよくありました。

 せっかく中学受験をして入った学校を中退したり、大学受験で3浪したり。そのたびに僕のすることを許してくれた両親には、もう感謝しかありません。

憧れだった「SASUKE」にも出場!

――東大時代はいかがでしたか?

 東京に出たら、今まで会えなかったような人に会えるんじゃないかと、それこそ珍しいものに会いに行くような、動物園に行くような気持ちでワクワクしたのを覚えています。ちょっとイヤな言い方ですが、自分より学力などが上の人がたくさんいる環境というのも楽しみでした。

 入学してみると、本当にすごい人ばかりでした。少し教授の話を聞くだけでテストで高得点をとるなんて当たり前。週3でバイトをしながら就活の塾にも行き、サークル活動もちゃんとやって、よく遊びよく飲み、それでいて学校の成績もいい。そんなスーパーな人たちがたくさんいるんです。僕も好き放題、本当に楽しくやらせてもらいました。

――「SASUKE」にも出場されましたね。

 子どものころから「SASUKE」が大好きで、近所の駐車場で天井の梁(はり)によくぶら下がっていました。実は「東大生ならオーディションに受かりやすいのではないか」という下心があったことも否めません(笑)。ファイナリストに残った「ミスター東大コンテスト」出場も「SASUKE」のオーディションに役立つと狙ったものです。

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