当時最年少の小学2年生であやとり教室指導員の資格を取得したあやとり名人・大坂聡志くん。スーパーキッズの才能をどう育てたのでしょうか? 聡志くんのご両親にお話を伺いました。「AERA with Kids 2024年夏号」(朝日新聞出版)からご紹介します。
【写真】聡志くんが、ひらめいた「あやとりレシピ」を書き留めたノートはこちら頑張る聡志くんに触発されて、親も一歩前に踏み出した
小学1年生のとき、車で移動するときの暇つぶしになるかなと、私(旬子さん)が聡志にあやとりを渡してみたんです。するとすごく楽しそうにいろいろな技を覚えて、あやとりの本に載っている技も次々と制覇してしまいました。
そんなとき私が「あやとり検定」なるものを発見。本人もやる気満々だったので挑戦させてみると、初級、中級、上級に合格。そこからさらに、実技と筆記試験を経て、小学2年生のときに、「あやとり教室指導員」の資格を取得することができました。
「聡志がこんなに努力して指導員の資格を取得したのだから、発表の場を用意してあげたい」。そう考えた私は、いろいろな施設に電話をかけてアポ取り作戦開始。何度か断られたのち、地域のカフェでイベントを開催させてもらえることになりました。
初舞台は雨の日で、参加者は6人ぐらいでしたが、みなさんとても喜んでくださって。そこから実績を積み、子どもから高齢の方まで、たくさんの人の前でイベントを開催できるようになりました。
「あやとりなんて勉強の役に立つの?」と聞かれることも。その答えは…
今は初対面の方とも、大勢の前でも堂々とひとりでお話しできますが、実は小さいころ、人見知りが激しく、ずっと私の後ろに隠れているような子だったんです。4歳から習っているマリンバの発表会では、本番中も私が途中まで付き添っていましたし、幼稚園のお遊戯会でも恥ずかしくて舞台から何度も降りてしまいました。
「でも、あやとりができるようになり、資格も取れたことで自信がつき、自然と前に出て行けるようになったようです」(正志さん)
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