でも年長ぐらいから徐々に差が縮まってきて、小学校の間にはすっかり生まれ月による成長差が見えなくなってきて、そのことを忘れていたような気がします。で、今またここに引き戻されたって感じ。
そう思うと中学生だってまわりがそうだからと無理をして合わせる必要ってないんだよなぁ。本当に学生生活の中で希望や目標を持って楽しんだり一生懸命になれたりしたなら、その過程や結果を振り返ったときにそれは『青春』だったなぁと思うものなんですよね。過去の私のようにまわりの目を気にして、友達から置いていかれたくなくて無理してやったことは、どう足掻いても青春にはならないわけで。笑
イケてない奴だと思われたくない。
まわりの話題についていけないとハブられそう。
好きな子ぐらいいないとダサい。
キラキラした陽キャの輪に入っておきたい。
『青春』の2文字に妙に華やかなイメージを見て背伸びすると、後々になって苦味ばかりが残るかもしれません。
長男がどんな学生生活を送りたいと思っているかははっきり分かりませんが、
「学校は無理をせず淡々と行ったらいいよ」
とだけ伝えてみました。
気が合う子がクラスにいなければと本を読んで過ごせている長男は、孤独を恐れず自分を持っているところが素敵だし、興味もないのに好きな子を無理に作る必要もない。部活や文化祭などコミュニティの中心にいなくても、焦らず自分の成長に合った「時」が来るのを待てばいいよ、と。
学校内の活動に限らず、自分で目標を立てて頑張ったことがあれば一人でもそれを誇りに思っていいのだし、三年間でたった一人でも親友ができたならそこから青春が始まるのかもしれません。
私自身の強迫観念というのでしょうか、空回りしたエセ青春の記憶が過去の自分への共感性羞恥で年々苦味を増してくるので、長男には彼自身のマイペースさをよく解釈して、まわりの雰囲気に惑わされず、自分らしい思春期を迎えてくれたらと願うばかりです。