教育の話題は「過度な期待」が起きやすい

 たとえば、私たちの塾に視察にこられる親御さんのなかには、「うちの子は将来、アメリカかイギリスの名門大学に入ってもらって」と、さもそれが当たり前のことのようにおっしゃる方がいらっしゃいます。たしかにここ数年、日本の高校から海外の名門大学に進学する事例がニュースとして取り上げられるようになりましたし、私たちの塾からも毎年のように進学者はいます。しかし、冷静に考えればそれは「普通のことではないからニュースになる」のであって、誰でも行けるわけではありません。

 私がかつて指導し、アメリカの有力大学に合格した生徒の話をすると、一時期音大に進むことも考えていたくらいバイオリンが上手で、コンクールで入賞したりする生徒がいました。さらに高校の模擬国連で自校チームを率いて国際大会に出場し、ベストペーパー賞を受賞。東大模試を受ければ全国2位。大学教員に指導を受け、化学の研究もこなす、そんな生徒でした。

 「そんな神がかった子がいるの⁉」と驚かれるかもしれません。しかし、実際にイェール、ハーバード、スタンフォードにはこれくらいの水準の高校生たちが世界中から願書を送ってきて、その狭き門を巡って競争をするわけです。バイオリンが得意な生徒であれば、スタジオを借り、ピアノの伴奏者を手配し、演奏をレコーディングして大学に提出します。 このように海外の名門大学に進む子どもは、小さなころから神童扱いされるだけでなく、自発的な努力を怠らずに成長していったわけです。

 小学校低学年の子どもを地元のサッカー教室に入れるときに「うちの子は将来、プレミアリーグで活躍する予定なので」と言う親御さんはあまりいないと思うのですが、教育の話題になるとなぜか「過度の期待」が起きやすい。これは小中高大の国内受験全般にも言えることです。極端な学歴主義に囚われ、子どもに大きなプレッシャーをかけ続ける親御さんはいまの時代になってもたくさんいます。またこれは日本だけではありません。

 もちろん私たちも教育のプロですから一人でも多くの生徒が英語好きになって、世界で通用する英語力を身に付けてほしいと願っています。難関中に合格した、名門大学に受かったという報告を受けたら素直にうれしいです。

 しかし、実際にそうした高みに届く生徒は、大人が敷いたレールに乗り続けた子どもではなく、勉強を主体的に楽しんできた子どもの方が圧倒的に多いのも事実。それはある意味必然で、大人に勉強を強制させられる子どもは早々に英語嫌いになって英語を断念することが多く、母数から消えるからです。

 英語嫌いで済むならまだマシかもしれません。親の期待に押しつぶされてメンタルを病む子、親御さんとの間に修復不可能な亀裂が入る子の実例も目にしてきました。

 私は早期教育自体を否定するつもりは一切ありません。子どもに期待をかける親御さんの気持ちも否定はしません。しかし、教育虐待には断固として反対します。

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